智亮・死亡の経緯

 

1.当事者について

 被害者(患者)

氏名               智亮 (ともあき)

 生年月日          1980年12月26日 (23歳)

 職業               学生(国立xx大学 2004年3月24日卒業)

                                     同大学院4月入学予定

 死亡事故発生場所

 名称       : 財団法人日本心臓血圧研究振興会(東京都新宿区河田町8番1号)

附属榊原記念病院(府中市朝日町3−16−1)

 理事長        : 吉岡 博光(現・東京女子医科大学理事長)

 病院長        : 細田 瑳一(元・東京女子医科大学病院病院長)

 病床数     : 320床

 設立       : 1977年10月

 入院病院  : 2003年12月に新宿南口そばから移転した上記榊原記念病院

 

2.入院の経緯

 @ 智亮は、1980年12月26日に新宿区内にある国立国際医療センター(以降IMCJ)で生まれました。生まれたときに心雑音があり、同病院の小児科医師と榊原記念病院にて「三尖弁閉鎖症」と診断されました。3歳のとき、榊原記念病院にてブレロック手術をK医師(榊原記念病院医師、現在副院長)の執刀のもとに行い、6歳のときに当時の根治手術(フォンタン術式)をK医師とその上司の外科医の執刀で行いました。手術は成功しましたが、智亮はその時受けた日赤の血液輸血によりC型肝炎に感染しました。

 A 手術してから後、心臓の経過はよく、肝炎についてはインターフェロンによる押さえ込みをしました。(IMCJ)その後の経過は順調でそれ以降昨年3月心臓カテーテル法による検査までの15年間心臓に関係する入院はありませんでした。月一回はIMCJの小児科を受診し、年に2−3回榊原記念クリニックでm先生に受診しました。東京都立高校を経て国立大学に入り工学を学び、この4月からは同大学の大学院に進学することが決まっておりました。

B        卒論を提出し、2泊3日の京都への卒業旅行を終えて帰ってきたのが3月17日でした。よく18日の夜、下半身のむくみがみられたので、19日にIMCJの小児科医師の勧めで、榊原記念病院のM副院長に診ていただきました。当日はクリニックのm医師は不在で手術入院時の主治医のひとりであったM先生から「病院に入院していれば安心だからそうしよう。インターネットも使えるし24日の卒業式にもでられる」と言われて、本人は入院することになりました。  この医師は亡くなった当日「これがこの子の寿命だった」と白々しく言った。

  

3.入院後の経過

 その後の経過は、次のとおりです。

@        3月19日入院。

同日夜、本人と母親が主治医のN医師から「昨年3月心臓のチェックのためカーテル検査を行い将来的に手術が必要となるかもしれないといったがそれを何時にするか決めよう。新しい手術をすればまたふつうの生活ができる。」「心房細動を改善させるため、カウンターショックを行いたいが、血栓の有無を確認する必要がある」と言われる。

 A 3月21日  利尿剤により2日間で5.5KG体重が減りむくみが取れて正常と同様になる。

B 3月22日  血栓確認のためMRI検査。15時前の予定のはずが病院側の何らかの理由で遅れる。母親は夕方帰宅したがこれが智亮と話をした最後になった。

C 3月22日夕方 右心房に7センチの血栓があることが判明したが家族への連絡はなかった。主治医の話によると本人には簡単に説明をし、23日に家族共々詳細に話をすることになっていたと言う。MRI終了後大学の友人が見舞いに来る。その後M副院長が夜8時に本人のところへ来て話をしたらしい。その時本人に主治医から説明を受けたかどうか聞いたが本人はまだと言った。(M副院長談)

 

4.事件当日(2004年3月23日)の経過

  以下は、智亮のPC及び事故直後病院に求めて得た心電図のモニターの記録及び私ども家族が聞いたことから整理しました。

 6:56  自分のパソコンでメールを確認。兄から来た下記のメールを読む。

    「おつかれ、兄です。

昨日、シンガポールから帰ってきて、入院したって聞きました?

大丈夫?

まあ、少し処置すればいつも通りになると期待しているので、大丈夫だと思うけど。

それと、来年いろいろと考えなければならない就職関係だけど、相談に乗るので

お父さんと一度一緒に話した方がいいね。

じゃあ、容態連絡してね。

はやく退院出来ることを祈ってます。」 

7:28 自分のパソコンから智亮の大学研究室の掲示板に下記書き込み。

 

>昨日は雨の寒い中、わざわざお見舞いに来てくれてありがとう。

>二人が帰るまでは平気だったけど、あの後死にそうになってたよ〜。

>MRI検査に使った造影剤の副作用で。

>体験したことのない激しい頭痛と吐き気で悶えてた。

>結局あの晩飯、一口も食べてないし。(^^;

>今は何とか平気になってるけど、頭痛がまだ完全に取れない。

>検査よりも、検査の後のほうが辛いって最悪ね。」

 

 8:45 食事。自分で下膳を行う。

        そのとき、家族は全員不在。

        同病室には1名の患者さんがいた。

9:40   智亮の体につけてある心電図モニター(無線)の警告がナースステーションで鳴る(事故直後、私たち家族が病院に要求して写しをもらった記録から下に書きます)。9:40以前から鳴っていた可能性(K副院長が認めている)があるが記録なし。

 

この後、断続的にアラームが記録されている(ナースステーションでアラームが鳴っている)。

アラームは以下の時刻。

9:40 HR  ALARM  RECORD(             

9:41 V. TACHY  ALARM  RECORD(9拍以上の心室性期外収縮が連続したときの表示

9:41 HR  ALARM  RECORD

9:43 VPC  RUN  RECORD(設定値以上の心室性期外収縮が発生したとき)

9:43 HR  ALARM  RECORD

9:46 HR  ALARM  RECORD

9:47 VPC  RUN  RECORD

9:48 VPC  RUN  RECORD

9:49 HR  ALARM  RECORD

9:49 V. FIB  RECORD(心室細動が検出されたときの表示)

9:50 VPC  RUN  RECORD

9:50 V. TACHY  ALARM  RECORD

9:51 HR  ALARM  RECORD

9:52 VPC  RUN  RECORD

9:54 HR  ALARM  RECORD

9:54 V. TACHY  ALARM  RECORD(ここから徐脈)

9:55 HR  ALARM  RECORD

9:56 HR  ALARM  RECORD

  (注)アラームの種類

HR ALARM RECORD:心拍数に異常があったときのアラームである。

V.TACHY ALARM RECORD:9拍以上の心室性期外収縮が連続したときのアラームである。心室性期外収縮は,心室から異常刺激が発生して期外収縮が起こった状態である。

VPC RUN RECORD:設定値以上の心室性期外収縮が連続したとのアラームである。設定値は3〜8拍の間で設定される。

CALL RECORD:看護師を呼び出しがあったとの記録である。

V.FIB RECORD:心室細動が検出されたときのアラームである。心室細動は,心室のあらゆる部位から刺激が発生し,心室が細かく震える状態であり,心室が血液を駆出できない状態で,脳血流が途絶し,致命的となる。

 心電図上,智亮の心拍数は,9時40分から9時43分頃までは1分間に約150拍の頻脈であったが,9時46分以降は1分間に約40回,9時50分ころには約30拍の徐脈となった。さらに9時52分以降は10秒以上も間隔をあけて脈が振れるようになり,9時54分から同56分までの間は細動があるのみでほとんど脈が振れず,心停止に近い状態となった。

 

  これ以降の心電図のモニターの記録はもらえない。あとでK副院長からの話しでは紙切れを起こしており、誰もその補充をしなかったから記録がないといっている。しかしながら、当然上記時刻以後、発見されるまでの10:45までに警告が一つもないことは考えにくく、アラームに対する看護師たちの反応は皆無に近いということが看護師たちの証言で分かった。

 

10:10      この時間帯に、看護師は別の患者の世話でアラームに気がつかなかったと言う。

10:15      看護師がアラームに気がつきアラームを消して智亮のベッドに行くが居ないのでそのままにした。

10:15      看護師が智亮がベッドにいないことを確認(特に対処無し)

10:39      看護師が智亮がベッドにいないことを確認。

 10:45      同室の患者が、智亮が長い間ベッドにいないことを大声で指摘した。

(同患者は、10時30分から発作を起こしており、発作が収まってから看護師に通知した)

同時にほかの患者さんがトイレに入りたいのだけれどずっと鍵がかかっていて入れないと看護助手にクレーム。

その話しを聞いたA看護師が外側から鍵を開けた。

10:45 智亮がトイレで発見される。左腕を手すりにつっこむ形で心肺停止状態で倒れていた。

10:58 CCUに移動し心電図の測定開始

 カウンターショックが不可能なため(前日のMRI検査で右心房内部に血栓があることが判明して

おりカウンターショックを行うと、血栓が飛ぶ可能性がある)カウンターショックのパドルを利用して、

移動しながら心電図を測定する。この心電図に見られる脈はおそらく医師もしくは看護師による

心臓マッサージによるものと思われる。(主治医談)

11:05  智亮が危篤状態という旨の電話が自宅にある。

11:41 母と弟が榊原記念病院に到着する。

CCUに行ってもなかなか対応してもらえないなどの扱いを受け、入室までに時間がかかった。

11:55 主治医から、「昨日のMRIで右心房に7センチの血栓があることが判明した。

検査後頭痛を訴えたので薬を出した。朝、確認したところ頭痛はよくなり食事も自分で下膳した。

9時10分頃から10時50分ころにトイレで発見されるまで何時倒れたかは不明。

呼吸が止まってから時間が経っていると思われるので心臓が回復しても脳へのダメージは残ると思われる。

処置としては、カウンターショックが不可能であるため、血栓を溶かす薬(ワーファリン)を投与し、

心臓マッサージを行った、マッサージ後に人工心肺を取り付けている。処置が終了したら会える。」

と説明を受ける。智亮が倒れていたトイレはどこなのかという質問に対してナースステーションのすぐ前

という答え。「処置が先なので何ゆえ一時間以上も放置していたかはこれから調べる」と言われる。

13:30 家族がそろったので主治医から、ふたたび説明を受ける。

現在人工心肺を取り付けており、あとは自分の心臓が動き出すのを待つだけとの報告。

確認すると、回復の見込みは低いとのこと。M副院長は家族に対してNatural Life(寿命)と言った。

13:50 連絡を受けて家をとびだしてから三時間、病院についてから二時間以上が経っているにもかかわらず

いつまでも会わせず、言い訳ばかりしているのに耐えかねた母親と弟の強い要望により

やっと智亮が処置を受けている場所に移動し、面会する。

しばらくして23年間外来主治医であるm医師が到着し、智亮の場合不整脈と心不全の両方なので、

「駄目だね。心不全と不整脈じゃあ助からないね」と言った。

14:00 M医師の見解としては助かる見込みはないとのことだが、家族の意向により、少しでも可能性があるうちは人工心肺の停止はせず経過を見守ることにする。その後もM医師に対して原因と状況説明を要求したが、はっきりした対応はせず終始言い訳と技術的理由の可能性ばかりで、病院の過失を認めず家族に対する誠意はみられなかった。父親と兄弟がインターネットの掲示板・チャットにより智亮の友人などへの連絡を行うとともに、関連するデータなどの確認を行う。心電図やカルテについても、コピーを依頼したところ最初は拒否されたが、複写の権利などを主張し、まず心電図の出力結果の複写を行う。印刷されていた以外のデータについても要求したところ、データがないという説明を受ける。おかしいので理由を聞いたところ看護師が退床処理をすると同時に削除したと聞いた。その日の担当の看護師や医師と面談を行い、状況の詳細を確認する。データを削除した看護師は誰なのかは不明とのこと。

       大学の先生をはじめ50人以上の友人が最後のお別れにわざわざ遠い府中の病院まで来てくれた。

22:38 母親同意の下、人工心肺を停止。法的にはこれが死亡時刻となる。

解剖してよいかと聞かれたが拒否した。死亡診断書をN医師が記述。ただし、原稿はM医師が記述。病院側に非がある旨を記載する。父の要求はあくまでも1時間以上放置されたことが最終死因であるとしたが断固としてM医師は受け入れなかった。そのうち、もし事故と言うのならば警察に届けるが、その時は解剖しなければならないと言われた。そこでしかたなくM医師に対して、事故に関しては備考欄に書くことで了承するが。本来事故死であるが遺族側が解剖をしたくないためにこのような死亡診断書になった旨、記録しておくことを約束させた。第一死因に事故のことが書けないのは「厚生労働省の統計が狂うから」とM副院長が言った。

この間、他の遺族は、2時間以上も、CCUの外で待たされる。

02:20 家族の強い要求でM医師らがようやく家族に対して初めて謝罪を行った。

智亮を自家用車に乗せ、自宅に戻った。深夜の大学に行き、守衛さんの了解を得てキャンパスの中をゆっくり見学した。24日10時からの卒業式には無理だが24日3時(7時間前)にその会場の前で智亮は出席した。

   快く我々を入れてくれた23日深夜当直の大学の守衛さん。ありがとうございました。

 

5.当日の病院側担当者

   @ 医師

       M医師 (副院長小児心臓内科)      

       N医師 (主治医小児心臓内科)

       K医師 (N医師の助手)

       m医師 (顧問・小児心臓内科)

K医師 (副院長小児心臓外科)

  A 看護師

       K看護師     副師長病院の説明では循環器の経験が豊富なベテラン看護師

       M看護師     8名の患者を任され、看護。昨年12月に榊原に入職し循環器の経験は4ヶ月とのこと(本人談)

       看護師         昨年10月より入職。K看護師より指導を受けながら看護。この看護師の存在は一ヶ月以上経って

                  遺族の強い求めに応じて当日の病棟担当とわかった。