平成17年(ワ)第10884号 損害賠償(医)請求事件

原告 間下浩之 外1名

被告 財団法人日本心臓血圧研究振興会 外4名

 

被告ら第1準備書面

                                                                                                  平成17921

 

東京地方裁判所民事第35部合A3係 御中

 

 

                                                                      被告ら訴訟代理人

 

 

2 本件診療の経過

 

  1 本件入院までの経過(甲B834頁)

 (1)昭和551226

  国立国際医療センター(新宿区戸山町)で出生したが、全身チアノーゼがあり、心

雑音が聴取された(乙Al3頁)。

 

2)生後12日日

精査治療のために、被告財団法人日本心臓血圧研究振興会が開設する財団法

人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院(以後「被告病院」という。当時は、

渋谷区代々木に病院はあった。)に入院した。

 チアノーゼ、呼吸速迫があり、三尖弁閉鎖症、肺動脈狭窄症、卵円孔狭小の診断

にて、BAS(バルーンカテーテルによる心房中隔裂開術)を施行した(乙Al3頁)。

 術後、症状は改善し、退院後は国立国際医療センター小児科外来を定期受診する

こととなった。

 

3)昭和591115日(310ケ月)

3歳ころより無酸素発作が出現するようになったため、被告病院にて左側ブレロック

ータウシッヒ短絡手術を施行した(乙Al3頁)。術後、症状は改善し、以後、被告財

団法人日本心臓血圧研究振興会が開設する榊原記念クリニック(被告病院と異なり

基本的に外来専門)に1ケ月に1回程度の定期受診をしていた。

 

4)昭和62825日(6歳)

 被告病院において、三尖弁閉鎖症の機能的根治手術であるフォンタン手術(右房

主肺動脈人工血管吻合術)が施行された(乙Al3頁)。手術は成功し、その後の

経過も順調で、月1回の割合で国立国際医療センターを受診するほか、年23

の割合で榊原記念クリニックを受診して、経過観察が行われていた。

 

注)正常な血液の流れは右心室から肺動脈へであるが、フォンタン手術は右心房と肺動

 脈とを吻合し、右室を利用するものではない。したがって、真の意味での根治手術で

 はないので、機能的根治手術と言う。長期的には右心房が拡大し、不整脈などが出現

 することがわかってきた。近年、そのような場合には下記のTCPC手術へ変換すること

 が考えられている。

   なお、智亮の三尖弁閉鎖症に関連する上記治療法(BAS、ブレロックータウシッヒ短

絡手術、フォンタン手術〉に関しては、乙B2及び乙B3を参照されたい。

 

5)平成1212月(フォンタン術後13年)

    この頃から、軽度チアノーゼが認められるようになった。

 

6)平成143月(フォンタン術後15年)

    被告病院で行われた肺血流シンチ検査にて、左肺と右肺の血流量に差異があり

   (乙Al3頁)、右肺血流量が有意に少ないことが認められた(右381%、左

   619%)。この結果より、被告病院では、心臓カテーテル検査を勧めた。

 

7)平成1537

  被告病院にて、心臓カテーテル検査等の諸検査が施行された(36日〜8日まで

  入院)。諸検査の結果、右房拡大が著明で肺動脈への血流が緩慢であることが認め

  られた。

 

    被告病院小児科及び外科の医師団で協議した結果、

    右心房について拡大及び負荷がかなりみられることから、今後、心房性不整

    脈が出現する可能性があること及びチアノーゼが悪化する可能性があること

 

 が指摘された。

   治療方針としては、右心房の負担を減少させるために、フォンタン手術からTCPC

 手術()へ転換することが考えられるが、同手術は開胸を必要とするところ、智亮は

既に6歳時にフォンタン手術を受けていて再度の開胸手術となることから、通常より

もリスクが高くなり、術中術後の死亡もありうる。他方、智亮にチアノーゼの増悪、不

整脈などの症状がみられるようになったときは、静脈系の側副血行路の処置としてさ

らに別の開胸手術が必要となることも見込まれる。

 そこで、開胸手術施行回数を抑えるために、経過観察してチアノーゼの増悪、不

整脈などの症状の出現がみられるようになった時にこの両者を同時に施行する方向

で考慮することとなった(乙Al3頁)。

  そして、以後、国立国際医療センター小児科外来を定期受診(蛋白尿があり、毎月

チェックされていた)するとともに、榊原記念クリニックにも主に不整脈のチェックで数

ケ月に1度程度定期受診していた。平成15年頃からは、浮腫、不整脈が時々認めら

れるようになってきた。

 

  注)TCPC手術とは、人工血管を利用して下大静脈と肺動脈を繋ぎ、上大静脈の心臓側

   を右肺動脈に吻合する手術のことで(改良されたフォンタン手術の一類型)、これによ

   り上大静脈、下大静脈からの還流血は直接肺動脈に流入することとなり、右心房の負

   荷を軽減することとなる(乙B2、乙B3参照).この手術が行わわるようになったのは、

    ここ10年ほどのことである。

 

8)平成16319

 智亮は、同月15日から17日にかけて友人と京都に卒業旅行をした後、下腿浮腫

が出現し、18日は自宅で静養していたが、夕方に大腿、下腿が著明に腫れ、翌19

日は起床後顔も腫れてきたということで、国立国際医療センター外来を受診した。チ

アノーゼ、肝脾腫触知、心房細動(心電図)、心拡大(胸部レントゲン像)が認められた

ため、榊原記念クリニック受診を経て、同日夕方に被告病院に心不全治療・精査目

的で入院となった(乙Al3頁)。

 なお、智亮は、同月24日に予定されている大学の卒業式への出席を強く希望し

ていたため、大学に近い府中の被告病院に入院し、心不全を治療し、324日に病

院から大学の卒業式に出席することが予定されていた。

 

 

2 本件入院後の経過(甲B8513頁)

 

1)平成16319

 

 ア 入院時の症状

  午後4時ごろに、被告病院に入院した。入院時の診察所見では、下腿に著明な

浮腫がみられ、チアノーゼは平成153月の入院時より増強していると認められ

たが、その他、心雑音は聴取されず、呼吸音も正常であった。本人の主訴及び母

 親からの聴取内容によれば、前年の秋ごろから時々浮腫がみられるようになり、

 本年2月にも浮腫が出現し安静を指示されていたとのことであった。なお、当日の

 夕食は全量摂取できている(乙Al74貫)。

 

検査所見(乙Al2頁、3頁、23頁等)

   入院時に、胸部レントゲン検査、心電図検査、心臓超音波検査及び血液検査

 を施行したがその結果は、以下の通りであった。

   @ 胸部レントゲン検査:心拡大が認められるが、肺野に異常陰影は認められ

   なかった。

   A 心電図検査:QRS心拍数(心室の収縮数)は、最低が1分あたり70拍、最

    高が同100拍であり、心房細動(心房性不整脈の一種)が認められたが、心

    拍数は特段多くも少なくもなく安定していた。

    B 心臓超音波検査:左心室の動きに明らかな低下はなく、ごく軽度の僧帽弁

    逆流(左心房と左心室の間の僧帽弁の閉鎖が障害され左心室から左心房へ

    の血液の逆流が生じる状態)が見られた。下大静脈は拡張し、右心房も拡大

    していた(なお、血栓は検出されなかったが、同検査だけでは右心房内の全

    てを見ることはできず、血栓の存在を否定することはできない)。

    C血液検査:特段の対応を要する異常所見は認められなかった。

 

  症状診断と治療方針の策定(乙Al2頁、5頁、23頁等)

     以上の診察、検査結果を総合すれば、智亮の問題とされる症状(心不全、不整

   脈及びチアノーゼ)の原因は、右心房が拡大しているために心房細動を生じ、そ

   の心房細動により心不全が悪化した可能性があると考えられた。

   そこで、主治医は以下のとおりの判断と治療方針の策定を行った。

@    心房細動の治療方法としては、心臓に通電することにより全体を同時に脱

 分極させて異常調律を除去する方法である電気的除細動(「カウンターショッ

      ク」と言う。)の実施が考えられた。しかし、心内に血栓が存在する場合はカウ

       ンターショックにより血栓が剥離し梗塞を引き起こす可能性がある。そこで、

       同方法を施行するには心内血栓の存在を否定する必要があったが、前述の

       とおり心臓超音波検査では右心房内血栓の存在を否定はできず、直ちにカ

       ウンターショックを施行できる状況ではなかったため、MRI検査等の更なる

       検査を行い、その結果により心内血栓の存在を否定できた時点で、カウンタ

       ーショックの施行を検討することとした。

A原疾患(三尖弁閉鎖症でフォンタン手術後の状態)の治療については、不

       整脈及び浮腫の症状が出現していたので、TCPC手術への転換を行うべき

       時期が近づいてきていると判断されたものの、智亮についてはチアノーゼに

       対する手術、血栓が発見された場合の血栓除去手術を行う可能性もあった

       ので、できるだけ手術の負担とリスクを抑えるためには、これらを同時に行う

       のが適切と認められ、施行にあたっては更なる精査、慎重な検討及び患者

       本人や家族の意向を総合して判断する必要があると考えられた。

B脈拍数の調整については、本件入院前から投薬中であった抗不整脈薬の

「ワソラン」で対応できていたため、同薬の投与をそのまま継続する方針とし

 た。

C心内血栓は否定し切れていないところ、心房細動があることから新たに生

       成される可能性があり、また既に存在するとすれば更に増大する可能性があ

       るため、血栓の生成又は増大抑制のため、抗凝固薬である「ワーフアリン」の

       内服を行う方針とした。

D心不全に対しては、経口利尿剤である「ラシックス」及び「アルダクトンA」の

       投与を開始し、肺循環の改善及びチアノーゼの軽減を目的として酸素投与

       を行い、利尿による低カリウム血症(血液中のカリウム濃度の低下)の予防の

       ためにカリウム製剤である「アスパラK」の内服を開始する方針とした。

    Eチアノーゼの原因の精査に関しては、その原因を検索して治療が可能か

  どうかを検討する方針とした。チアノーゼの原因として可能性が考えられる静

      脈系の側副血行の存在を確かめるために、何らかの画像診断の施行や、血

      栓が否定できた場合は心臓カテーテルの施行も行うことが必要と考えられ

      た。

 

エ 心電図テレメータの装着

       智亮については、心臓超音波検査の終了後、落ち着いた頃を見計らって、無

  線のセントラルモニター方式による心電図テレメータを装着するよう看護師に対す

 る指示がなされている(乙Al21貫)。

   その装着の目的は、

    睡眠時、活動時、安静時などの違いによって心拍数等がどのように変化す

    るかを事後的に把握し、治療に反映させる

  ということにあり(ホルター目的での使用。具体的には、智亮の場合、心不全で脈

  拍が早くなっていたので、これを調整するため抗不整脈薬「ワソラン」を投与して

  いたが、一般的に健常人でも夜間は昼間より脈拍が遅くなる傾向があるので、夜

  間に「ワソラン」の効き目が強く出て徐脈となってもまた問題である。活動時に頻脈

  となる時間が長ければそれも問題であり、そのような場合にはワソランを追加する

  必要もあった。そこで、無線のセントラルモニター方式による心電図テレメータを

  装着して、1日の脈拍のトレンドを事後的にホルター的に観察したい、というのが

  最大の理由であった)、特別に心拍数等の常時監視を行う必要があると判断され

 たためではない。

  そして、行動に特段の制限は必要ないと判断されたため、病棟内フリー(=病棟

 内歩行可。当該病棟内では自由に行動して良い)とした(乙Al21頁)。

2)同年320

  体重70kg、下腿浮腫あり、脈拍90/分、不整、朝食において主食は全量摂取・副

  食は23摂取、昼食において主食はほぼ全量摂取・副食は全量摂取であった(乙A

  131頁、74頁)。

 特段の状態の悪化は認められず、心内血栓及び側副血行の評価方法としてMRI

 検査を施行することが可能であると判断されたので、患者本人及び家族に対して、

 同検査の実施についての説明が行われ、同検査の予約が行われた(乙Al24

 頁)。

 

3)同年321

  浮腫は軽減し、体重も減少し(体重665kg、前日比−35kg〉、心不全症状は改

 善傾向にあった。脈拍も良好で、本人の主訴も特になく、朝食・昼食・夕食とも全量

 摂取した(乙Al31頁、32頁、74頁)。

 

4)同年322

 ア 浮腫がかなり軽減し、体重もさらに減少し(645kg。前日比−2kg)、心不全症

  状はさらに改善していたので、この日からは、院内フリーとなった(病棟内だけで

  なく、病院内すべてにおいて行動自由)。朝食・昼食とも全量摂取であったが、夕

  食は、後述のMRI検査による頭痛・嘔気のため摂取していない(乙Al22頁、3

  2頁、74頁)。

 

 イ MRI検査(乙Al42頁)

   同日夕刻行われたMRI検査の結果、右心房内に、右心房の前壁及び側壁下

  部に固着した、高さ約3cm、最大幅約6cmの大きさの血栓が発見された。

  MRI画像上、血栓の性状は、心房壁に接する面に茎はなく、血栓全体が心房

  壁にがっちりと付着した壁在性のものであり、他に遊離しやすい要因も認められ

  ず、同血栓の可動性(心拍によって血栓が動いて移動すること)も認められなかっ

  た。

   また、血栓の血液に接している面は平滑であり、右心房内の血液は血栓の前を

  滑らかに流れていた。

   なお、MRI検査の最中及び帰室時には、特に症状の訴えはなかったが、その

 後頭痛の訴えがあり、鎮痛剤である「ボルタレン」が投与された。その後もさらに症

 状継続の訴えがあったため、同投与から約1時間半後に、抗不安作用もある抗ヒ

  スタミン薬の「アタラックスP」の投与が行われた(乙Al32頁、33頁)。

 

 ウ 上記の血栓についての医師団の判断及び対応(乙Al25頁、6頁、7頁)

  主治医を含む被告病院医師団は、協議の結果、上記の血栓は、大きさとしては

  比較的大きいものの、前述のとおり、

 

    形態的に有茎性ではないこと

    可動性がないこと

    表面が滑らかで全体がなだらかな丘状であること

    肺動脈内にも血栓は発見されず、塞栓症の既往もないと考えられたこと

 

  などから、容易に剥離したり、塞栓症を起こすことはないものと判断した。

   また、安静はかえって血栓の増大を助長する可能性があるとされているので、

  安静度を高めるのは適切でないと考えた。

   そこで、本患者の安静度については、血栓発見後も院内フリーとされ、入院当

  初から予定されていた324日の大学卒業式への出席についても特に変更する

  必要はないとされた。

 

   なお、この血栓は剥離の可能性が極めて低いと認められたため、緊急手術の

  必要もなく、今後においてTCPC手術や側副血行に対する手術が行われるとき

  に、血栓摘出も同時に実施することで足りるものと判断された(血栓溶解療法は、

  血栓の遊離を起こす危険があると考えられたため、行っていない)。

  また、智亮本人にはMRI検査の上記結果は伝えたが、原告らに対しては、既

  に帰宅後であったためその日には伝えていない。

 

5)同年323日(乙Al26頁、27頁、3335頁等)

  同日朝、下腿浮腫はごく軽度あったが改善傾向を示しており、体重65kg(前日比

 +05kg)、朝食は主食は全量摂取・副食は23量摂取できていたが(乙Al33頁、

 74頁)、午前1045分頃、施錠されたトイレ内でやや左前かがみの格好で、下着を

 下ろして便座に座った状態にて心肺停止で発見された。便器の外には、ころころし

た固い便が落ちていた。直ちにトイレから外に運び出して心瞼マッサージを開始し、

これを継続しながらCCUに運び、補助循環を含む心肺蘇生処置を行ったが、午後1

038分死亡確認となった。

 以下、当日の当該病棟の状況を詳述する(なお、当該病棟の構成、部屋番号、ベ

ッド番号等は、甲B8(事故調査報告書)の8頁の図を参照されたい)。

ア 当該病棟(総合救急病棟)の入院患者の状況(午前8時〜11時:入院患者11

 一14名)

 ・午前830

     入院患者数11

 ・同840

    日帰り心臓カテーテル検査目的の患者入院(4424号室4番ベッド)があり、

    入院患者は12名となる。

 ・同920

    狭心症・心不全(疑い)の患者の緊急入院(4426号室2番ベッド)があり、

    入院患者は13名となった。

 ・同10時頃

    自家血採血患者の入院(4424号室1番ベッド)があり、入院患者は14名と

    なった。

      [患者在室状況]

        4401号室 1名在室(変動なし)

        4424号室(智亮の病室)2名一4

        4425号室 3名(変動なし)

        4426号室 1名一2名(920分緊急入室)

        4427号室 4名(変動なし)

看護師の勤務状況

 当該事故当日の平成16323日午前830分からの当該病棟(総合救急

病棟)の看護体制は被告である看護師3名(なお、午前11時からはさらに1名の

看護師が加わる予定であった)、看護助手1名であった(なお、午前830分ま

では3名の夜勤看護師が勤務)。

 各人の当日の行動は以下のとおりである。

 

@角口看護師(リーダー看護師)

 ・午前830

   夜勤看護師から申し送り。智亮が昨夜、頭痛と嘔気があり鎮痛剤の内服

  を受け、朝には改善していることを伝えられた。

 ・同9

  心臓カテーテル患者や点滴作成の確認、指導。

 ・同910

   狭心症・心不全(疑い)の緊急入院患者の収容の件で電話相談を受ける。

  狭心症患者は本来は準CCUに収容されるところであるが、空きベッドがな

  いので収容を要請され、早期治療の必要性を感じ収容を受け入れた。

 ・同920

    緊急入院患者収容。他の患者の病状は落ち着いていると判断し、刈谷

   看護師を指導しながら、緊急入院患者の看護を行なう。

 ・同10

    緊急入院患者担当医師にベッドサイドで経過報告。

 ・同1010

    ナースコーナーで緊急入院患者担当医より電話で点滴の内容変更の

   指示を聞く。

 ・同1035

   緊急入院患者の点滴治療開始後30分のバイタルサイン確認を刈谷看

  護師に指示。

    1040

   ナースコーナーにあるセントラルモニターに智亮の心電図波形が表示

  されていないことに気づき、そばに来た水木看護師に「どうしたの」と尋ね

  る。インターネットコーナーに行っているのではないかとのことだったが、

  所在確認までの指示は出していない。

A水木看護師

  44244425号室(計7名)の患者を担当していた。

 ・午前830分の少し前

   智亮が朝食を下膳するため病室から出てきたのを見かけたので声をか

  ける。「大丈夫ですか、私が下げましょうか」と言うと、「大丈夫です」との返

  事があり、いっもとかわらない様子だった。

 ・同830

  申し送り業務。

 ・同9時少し前から920分頃

   4424号室4番ベッドに入室してきた日帰り心臓カテーテル患者の看護を

  行う(静脈ルート確保の介助、着替え介助、同意書確認、オリエンテーショ

  ン説明など)。

 ・同910分頃

   4424号室2番ベッド、3番ベッド(智亮)の患者に「かわりませんか」と声を

  かける。

 ・同920分以降

   4425号室(3名)の看護を行う。発熱がある患者の点滴の更新(44253

  ベッド)、高血圧・動悸の患者の訴えに対応(4番ベッド)(2030分)、フィリピ

  ン人のため日本語がわからない患者(2番ベッド)の看護のため10時頃まで

  滞室。

     この頃、ナースコールがなったため4426号室に対応すると、4426号室

    3番ベッドの女性患者(77歳)がベッド上でもぞもぞしており、担当である

  刈谷看護師が救急患者(44262番ベッド)の看護業務で忙しそうであっ

  たので、話し掛けながら4426号室に近いトイレに誘導、数分後にトイレから

  ナースコールがなり、排尿し終えた女性患者を4426号室3番ベッドに誘導

  した。

 ・同10

   自家血採血患者入室(4424号室1番ベッド)。パイタルサインをとり、1日の

  スケジュールを説明。

 ・同1015

   4424号室4番ベッド患者を心臓カテーテル室へ送り出す。

 ・同1025分頃

   4424号室2番ベッド患者から気分悪いとの訴えあり、12誘導心電図検査

  を施行(1035分)。このとき智亮はベッド不在であったが、廊下のコンピ

  ューターでインターネットをしていると思って、所在確認はせず。

 ・同1040

   ナースコーナーのそばを通りかかったときに、角口看護師から、智亮の

  セントラルモニターの波形が表示されていないことについて質問を受け、

  「インターネットに行っていると思いますが、長いので探しに行った方がい

   いですか?」と答えた。

 

B刈谷看護師

  440144264427号室(計7名、内1名は緊急入室患者)を担当していた。

 ・午前8時過ぎ

   病棟出勤、病室入り口の院内情報システム(HIS)で患者情報をチェッ

  ク。

 ・同830

   申し送り業務。その後4401号室患者を訪室(持続点滴より抗生剤管注、

  バランスチェック等看護業務)。

・同9時前

    4427号室2番ベッド患者を心臓カテーテル室へ送り出す。

 ・同920

   4426号室2番ベッドに(狭心症・心不全(疑い)の患者が緊急入院。着替

  え介助、パイタルサイン測定、症状・経過聴取、持参薬確認、輸液準備等

  看護に約1時間を要す。

   この間、936分頃、ナースコーナーのセントラルモニターで緊急入院

  患者の心電図をプリントアウト。この際、智亮のセントラルモニターが「電波

  切れ」となっていたので、4424号室3番ベッドに行ったところ不在であった。

  不在の理由としては、智亮が頻繁に行っていた廊下のインターネットコー

  ナーに行っていると思い、所在確認をしなかった。

 ・同10

   4426号室2番ベッド患者のニトロール点滴開始。

 ・同1015分頃

   4426号室2番ベッド患者のカリウム値高値のため点滴内容を変え、点滴

   交換。

 ・同1035

   4426号室2番ベッドの患者の血圧、脈拍等測定。

 ・同1040分過ぎ

   看護助手より4427号室男性患者がトイレに行きたがっているが、4424

  室脇のトイレがずっとふさがっていると聞き、4424号室(智亮の病室)を確

  認したところ、同室2番ベッドの患者より、智亮はもう1時間も不在であると聞

  き、すぐトイレを開け、トイレ内で心肺停止状態の智亮を発見。

 

C看護助手

 ・午前8

   勤務に入る。患者が使用中のベッドの掃除を行った。

 ・同920

   智亮と「おはようございます」と挨拶を交わす。

 ・同1040分頃

   4427号室の4番ベッドのクリーニングをした際に「トイレに行きたいんだけ

  どずっとふさがっている」と言われ、刈谷看護師に報告し、4424号室の当

  該患者が不在であったため、ふたりで施錠してあったトイレを開錠した。

 

D村上医師、西山医師及び小林医師

   それぞれ、午前8時前後に回診したが、智亮は就寝中であったため、診察せ

 ず、部屋を離れる(その後は訪室していない)。

 

E 自家血採血医師

   午前1020分頃、採血のため4424号室(1番ベッド)を訪室し、10分程度滞

 在したが、その間、セントラルモニターのアラーム音に関しては認識していな

 い。

 

F 自家血採血担当技師

   午前10時過ぎ、4424号室(1番ベッド)を訪室し、3040分間滞在していたが、

 その間、セントラルモニターのアラーム音に関しては認識していない。

 

G狭心症・心不全(疑い)の緊急入院患者担当医師

 午前10時頃から20分程度4426号室に滞在していたが、その間、セントラル

 モニターのアラーム音に関しては認識していない。

 

第3 被告らの主張

 

1 本件死亡原因について

 

1)心電図記録

   本件では、午前940分頃に頻脈を原因とするアラーム状態の記録が認めら

  れ、以後午前956分まで断続的な心電図記録が存在する(甲A2)。

  この心電図記録を分析すると以下のとおりである。

 

 ア 午前940分頃、心拍数約150回/分の頻脈が発生し、数秒後にT波の顕著

   な増高が認められる。これは、急激な循環虚脱(末梢組織への有効な血流量が減

   少することによって臓器、組織の生理機能が障害されること)が招来されたことを

   示している。

   循環虚脱の状態になると、血液がアシドーシス状態(酸血症)になるため、酸性

   となった血液を中性に戻すべく電解質であるカリウムイオンの血中濃度が高まり、

   その結果としてT波が増高するのである。

 

 イ 午前941分の記録では、上記丁波の増高に加えて、正常であれば殆ど電圧変

   化が記録されないはずのST値も上昇しているが、これは、上記循環虚脱の結果

   として心筋虚血による心筋障害が招来されていることを示している。

   病態生理学上、T波の増高と共にみられるST値の上昇は、心筋虚血による心

   筋障害を招来したときに確認される典型的な波形変化とされている。

 

  その後、以上の状態を繰り返しつつ、午前946分には、心拍数が40から50

   で低下しているが、これは心筋虚血が改善されないため心機能全体がさらに低下

   したことによるものと認められる。

 

  そして、遅くとも午前948分頃には有効な心拍の形成は認められなくなり、午

   955分以降は殆ど心停止の状態に至っている。

 

2)発見時の状況

 

  智亮は、トイレ内において下着を下げて下半身を露出したままの姿で便器上に

   腰掛け両足を投げ出した状態で発見されており、ころころとした大便が便器外に

   落下していた。

 

  当該トイレには、便器に座って左側の位置に、非常に目立つ、操作容易なナー

   スコールの装置がある(甲B4の写真121335参照。ボタンを押すか、ひもを引

   けばよい)。そして、このナースコールのボタンを押すか、ひもを引けば、ナースコ

   ーナーで呼出音が流れる(この呼出音は、セントラルモニターの警告音とは別の

   大きな音で、これが鳴れば気付かないことは考えられない)ほか、トイレ外のラン

   プが点灯する(甲B4の写真14参照)。しかし、本件では、急変時にナースコール

   はなされなかった。すなわち、このような簡単なナースコールもできないほどの急

   変であったことが伺われる。

 

3)死亡原因

 

   本件では、解剖がなされていないものの、以上の事実からすると、智亮の死因は、

  以下のように推定できる(甲B8、乙B4参照)。

 

  排便時のいきみで右房圧が上昇し、右心房内に形成されていた血栓の表面が

   剥離して、右心房と肺動脈との吻合部に詰ったことにより肺梗塞を招来し、そのた

   め血液が肺動脈へ流れなくなり、肺静脈から左心房、左心室、大動脈へも血液が

   流れなくなり、急激な心筋虚血を生じ、結果として心機能の極度の低下をもたらし

   た。

  あるいは、排便時のいきみだけで、血栓・塞栓を介さずに、循環虚脱となった可

   能性も考えられる。すなわち、智亮のように、肺循環のためのポンプがないフォン

   タン術後遠隔期状態で、右房の容積がかなり拡大して右房圧も高くなっている場

   合には、いきみにより胸腔内圧が上昇することによって、右房への静脈還流が低

   下し、そのため肺循環の維持が困難となり、その結果、左心房、左心室、大動脈

   へも血液が流れなくなり、循環虚脱を招来することも考えられるのである(健常人の

        場合、全身から戻ってきた静脈血は上大静脈及び下大静脈から右心房に入り、三尖弁を通っ

       て右心室に送られ、右心室から肺動脈に送られて肺で酸素されて動脈血となり、肺静脈を通し

       て左心房へ送られ、それが左心室に送られ、左心室から大動脈を通して全身に送られる。とこ

       ろが、智亮の場合、三尖弁閉鎖症のため、フォンタン手術によって右心房と肺動脈が吻合され、

       全身から戻ってきた静脈血は、右心房から、圧の較差のみで肺動脈を通して左心房に送られ

        る。従って、胸腔内圧が上昇すると、肺血管抵抗が増大し、右房への静脈還流も低下し、肺循

        環の維持も困難となり、その結果、左心房、左心室、大動脈へも血液が流れなくなり、循環虚

    脱を招来しやすいのである。)。

2 原告ら主張の過失と死亡との因果関係は認められないこと

 

(1)原告らは、午前940分頃から鳴り始めていたであろうセントラルモニターのアラ

 ーム音に気付いて、直ちに対応していれば、智亮の死亡は回避できたと主張するが、

 上記死亡原因から考えて医学的にはそうは認められない。

 

2)循環動態に障害がなく、重症不整脈(死に至る不整脈:心室細動、心室頻拍)の

 みが認められる患者であれば、心臓マッサージ、DC(電気ショックによる除細動)、

 薬剤投与、挿管等の救命措置を直ちに行えば、救命率は高い。院内で5分以内に

 対応すれば7090%の救命が期待できると言われている。院外の場合でも、すぐ

 にこれらを開始しながら救急車を呼べば2540%は救命できると言われている。

  しかし、循環障害があり、その結果として不整脈を呈している場合は(智亮の場合、

 死因が上記のいずれであっても、こちらの場合に該当する)、不整脈に対する対応

 だけでは意味がなく、循環障害に対する対応をしなくてはならない。

  例えば、肺梗塞により循環障害の状態に陥ったのであれば、まずこの循環障害を

 除去した上で、心機能を回復させなければならず、循環障害の除去を行うためには、

 その原因となっている血栓を取り除くか、又は、人工心肺装置等の別の経路を使っ

 て循環を確保するかのいずれかの措置を採る必要があり、その上で更に、循環障害

 により損傷を受けて著しく低下した心臓等の機能を回復させなければ救命には至ら

 ない。

  また、仮に肺塞栓がなくても、智亮の場合は、フォンタン手術後の遠隔期にあり、

 肺動脈への駆出機能を有する右心室が機能せず右心房のみで構成されているた

 め、右心の血液駆出力が非常に弱く、肺への血流が乏しいため、もともと肺から肺静

 脈を経て左心房へ還流する血流は少ない。加えて、フォンタン手術によって、右心

 房と肺動脈を直接吻合しているのみで、そこに逆流を止める弁もない状態であるた

 め、右心房の拍動を期待して心臓マッサージを行っても、右心房の血液が肺動脈に

 流れるよりも上大静脈、下大静脈へ逆流してしまう可能性が高く、肺への十分な血流

 確保は期待できない(いわゆる心臓マッサージは、胸骨を間歓的に押すことにより、背骨と胸

 骨に挟まれた心臓の圧迫と解放を繰り返し、右室、左室に還流した血液をそれぞれ肺動脈、大

 動脈へ送り出す救急処置である。正常心臓であれば、右心房と右心室の間には三尖弁、右心室

 と肺動脈の間には肺動脈弁があり逆流を防ぎ、前方のみに血流を送り出すために重要な役目を

 果たしている。しかしながらフォンタン手術後は、右心房と肺動脈を直接吻合してあるのみで逆

 流を止める弁はない。従って、胸骨を圧迫して右心房が押されると、血液は一旦肺動脈に流れる

 が、圧迫からの解放でまた右心房に戻ってくることになる。さらに胸腔内圧が高い状況下であれ

 ば、血液は右心房カち肺動脈へ回りにくく、上大静脈や下大静脈へ戻っていく血液が多くなる。

 そのため、フォンタン手術後における心繊マッサージは非常に効率が悪いのである。)。このよ

 うに、右心から肺への血流を十分に確保できないため、肺から左心房、左心室への

 血液還流も乏しく、心臓マッサージを行っても、左心室から全身に駆出される血流は

 乏しく、心臓マッサージが功を奏する可能性は極めて低い。また、心瞼マッサージ

 によって右心房内の血栓が飛び散り肺塞栓を引き起こす可能性もある。

  よって、心臓マッサージだけで循環動態が改善するとは考えられず、結局、救命

 するためには、人工心肺装置等の別の経路を使って循環を確保する必要があるの

 である。

  従って、いずれにせよ、循環障害を除去するためには人工心肺装置の装着が必

要となるところ、同装置の装着には、ICUCCUにいたとしても最低でも30分程度

  の時間を要するので、その間に心機能は著しく低下し、たとえモニターアラームが鳴

  つて直ちに救命救急措置が開始できたとしても、救命を期待することはおよそできな

 いのである。

 

3)しかも、本件の場合、トイレの中での予期しない急変である。

   仮に、セントラルモニターで午前940分に智亮に異常が生じたことが確認でき

  たとしても、トイレからのナースコールがなければ、いろいろな場所を探索しなけれ

  ばならず(セントラルモニターで所在確認までできるわけではない)、トイレ内という

  居場所が確認できるまでに、ある程度の時間がかかることは避けられない。そして、

 救命処置をするため、トイレから出してCCU等の設備が整った場所まで搬送しなけ

 ればならず、これにも時間がかかる。

 

4)前述のとおり、心電図記録から読みとれる心機能の状態は、午前943分頃に

 は既に絶望的な状態に達しており、午前948分には有効な心拍は形成されてお

 らず、午前955分頃には殆ど完全な心停止状態にあった。

 

(5)したがって、本件の具体的状況下では、仮に940分の時点でセントラルモニタ

ーで智亮の心電図異常波形を認識し、直ちに捜索を開始し、緊急の対応を行うべく

集中治療室等に運び込んで救命措置を試みていたとしても、救命はおよそ不可能

であったと言わざるを得ない(甲B8、乙B4、乙B5)。

 

3 セントラルモニターアラーム音への対応に過失はないこと

 

1)前述のとおり、智亮をはじめとする本件病棟(総合救急病棟)の入院患者は、心

 電図モニターによる常時監視を要するような重篤な患者ではなく、そこでの心電図

 モニターは、心電図の日内変動を事後的に把握し、これを今後の治療に生かそうと

 いう、ホルター目的で使用されていたものであった。患者の異常状態を緊急に覚知

 することを目的とするICUccuでの心電図モニター(有線のベッドサイドモニタ

 ーである)とは全く目的が異なる。

  したがって、看護師を初めとする本件病棟の医療スタッフは、そもそも患者の異常

 を想定してセントラルモニターに常時注意を注いでいなければならない注意義務は

 認められない。

 

2)本件モニターの目的は上記のとおりのものであり、また誤作動によるアラームも

 少なくはないため、音がうるさいという患者の苦情もあって、音量は最低に設定され

 ていた。そのため、特に昼間は、忙しく立ち働いている看護師にはアラーム音が物

理的に聞こえないこともあり、絶対に聞き漏らさないことを求めることは、不可能を強

いるものであり、これを聞き漏らしたとしてもそのことを義務違反と評価するにあたら

 ない。

 

3323日の午前中に当該病棟を担当していた被告看護師らが、セントラルモニ

ターのアラーム音に気付かなかったこと、そのため、特段の対応がなされていないこ

とは、過失とは評価できない(甲B8、乙B3、乙B4)。

 

以上