平成18220

平成17年(ワ)第10884号損害賠償(医)請求事件

原告 間下浩之 外1

被告 財団法人日本心臓血圧研究振興会外4

 

被告ら第2準備書面

東京地方裁判所民事第35部合A3係御中

                                                                      被告ら訴訟代理人

                                                                                       

 

原告らの準備書面1に対する認否、回答及び反論は、以下のとおりである。

 

1  本件診療の経過について(原告ら準備書面11頁〜11頁)

1 2頁(5)〜(7)について              .

  「原カルテによる確認を要する」とある点については、期日間に平成18131付で原カルテ類を原告ら代理人に郵送したので、それで確認されたい。

 

2 2頁(8)について

 

1)「緊急入院」について

   原告らは、カルテ上、本件入院が「緊急入院」と記載されていることを指摘する。       この点、原告らの指摘はそのとおりであるが、被告病院では、入院の範疇は「予定入院」と「緊急入院」の2種類しかない。「緊急入院」には、予定外の入院がすべて含まれ、「緊急入院」だからといって、必ずしも症状が重篤で救急処置や常時監視が必要となるわけではない。智亮の本件入院も、予定外のものであるため「緊急入院」とされてはいるが、救急処置や常時監視が必要とされるような重篤な症状ではなかった。

 

2)塞栓症のリスクについて

  原告らは、「智亮が大学の卒業式への出席を希望していたことは事実であるが、出席を認めるか否かの医学的判断はあくまでも被告病院側がなすべきことは言うまでもない。」、「例えば、塞栓症等の重大なリスクがあるのであれば、卒業式への出席を認めるべきではないし、それを説明しない限り智亮は自己決定の機会を失われているのである。」と述べているが、この点は、被告も特に異論はない。被告病院では、卒業式に出席したいという智亮の強い希望をできるだけ尊重する立場から、卒業式への出席を目指して入院治療を施した結果、心不全症状は大きく改善し、卒業式への出席は可能と医学的に判断していたのである。そして、この判断は、322日に行われたMRI検査の結果、右心房内に血栓が発見された後も、特段変わることはなく、卒業式出席をとりやめなければならないような塞栓症等の重大なリスクはないと医学的に判断できる状態だったのである。

  原告らは、「被告らは塞栓症等のリスクについて、智亮やその家族に対して一切説明していなかった。」と主張する。この点、被告担当医は、MRI検査で血栓が判明した後でも、塞栓痕の重大なリスクがあるとは評価していなかったので、既に帰宅していた原告らをわざわざ呼び出して(あるいは電話を掛けて)緊急に話をすることはしなかったが、翌日、原告らが来院したときには、血栓の存在、遊離して塞栓するリスクの程度(リスクは小さいこと)、治療方針(ワーフアリンでの血栓増大予防を継続していくこと)、安静度(特段の行動制限の必要はないこと)、卒業式への出席(予定通り可能であること)などについて話をする予定であった。なお、智亮に対しては、MRI検査後、右心房内に血栓が発見されたのでDCショック(カウンターショック)は行わないこと、血栓はあるもののこれまでどおり特段の行動制限は必要ないことなどを説明している(安静はかえって血栓の増大を助長する可能性があるので、安静度を高めるのは適切でないと考えたからである)。

 

3 「321)イ検査所見」について

 

1319日の胸部レントゲン検査は、原告ら指摘のとおり、被告病院では行っていない。同日国立国際医療センターで胸部レントゲン検査が行われ、その写真を智亮が被告病院に持参したものである。

 

2)原告らは、「心臓超音波検査の段階ですでに、血栓の存在について『否定できない』というような抽象的な可能性にとどまらず、かなり具体的な濃厚な疑いとして説明されていた。」と主張する。

   この点、原告らの受け取り方の問題もあると思われるが、被告担当医としては、  血栓の存在を「かなり具体的な濃厚な疑い」として説明してはいない。血栓に関しては、心エコーのみではその存在を否定できず、血栓を否定できるまではDCショック(カウンターショック)を行うことはできないという趣旨の説明をしたのみである。原告らが指摘する病状説明図(乙Al5頁)にも、心エコーの所見が記載されているが(心臓の絵の右側の「#心エコー」のところ)、血栓についての記載はない。

 

3)求釈明及び証拠提出について

 

 @ 心電図の施行時刻:1630分頃と思われる(乙A4)。

   心エコーの施行時刻:1750分過ぎ頃と思われる(乙Al30頁の看護記録           に1750分心エコー室へ出棟との記載あり)。

   血液検査の採血時刻、結果判明時刻は詳細不明であるが、午後4時過ぎの入院後、午後5時頃には採血し、間もなく結果は判明しているのではないかと思われる。胸部レントゲン写真は、前述のとおり、被告病院では施行していない。

 

A心臓超音波検査(心エコー)の動画データについては、DVDに記録したものを、期日間に平成18131日付で原告ら代理人に郵送した。それを乙A5として証拠提出する。

 

4 「4頁ウ症状診断と治療方針の策定」について

 

(1)      原告らは、@で、「心内血栓の存在を確認するためMRI検査等を行うことについては当時説明を受けていた」と主張しているが、MRI検査は、血栓の存在を確認するためではなく、存在を否定するために行ったものであり、被告担当医はそのように説明している。細かい点かもしれないが、念のため指摘しておく。

 

(2)      原告らは、Bで、ワソラン投与について「脈拍数の調整のため」という説明はなかったと主張する。原告らの主張の意図はよく分からないが、乙Al5頁(病状説明図)に、不整脈の治療のためにワソランを投与する旨の記載があるとおり(左下の@内科的治療の欄)、上記趣旨の説明はしている。

 

(3)      原告らは、Eで、「チアノーゼの原因の検査のため側副血行等の存在を確かめる必要ありと考えていたとの点は、不知。」と述べているので、乙Al24頁に「チアノーゼ・心不全進行の原因は側副血行の増加か、CVP上昇に伴う右一左shuntの増大か、評価必要」との記載もあることを念のため指摘しておく。

 

 

55頁エ心電図テレメータの装着(装着目的、装着時の義務)」について

1)原告らは、本件入院がカルテ上「緊急入院」とされていることを指摘し、甲B10を引用して、本件では心電図モニターによる常時監視・即時対応が必要であったと主張する(5頁下から4行目〜63行目)。

   しかし、前述したとおり、本件入院は、カルテには「緊急入院」と記載されている ものの、被告病院における入院の範疇は「予定入院」と「緊急入院」の2種類しかない。「緊急入院」には、予定外の入院がすべて含まれ、「緊急入院」だからといって、必ずしも症状が重篤で救急処置や常時監視が必要となるわけではない。智亮の本件入院も、予定外のものであるため「緊急入院」とされてはいるが、救急処置や常時監視が必要とされるような重篤な症状ではなかった。すなわち、智亮は、319日に、国立国際医療センターを経て、午前中のうちに新宿NSビルにある榊原記念クリニック(被告病院の外来部門としての機能を有する診療所である)を外来受診し、そこで、本件で被告となっている村上医師の診察を受けた。村上医師は、浮腫も進んでいたので、入院しての心不全治療を勧めたが、智亮は、324日の卒業式への出席を強く希望し、入院に消極的であった。

 しかし、村上医師が、入院と卒業式出席は両立することである、府中にある被告病院だと大学にも近いので、そこで入院して心不全治療を行い、特に問題がなければ病院から大学の卒業式に出席するというのが良いのではないかと勧めて、被告病院へ入院することとなった。しかし、直ちに入院したわけではなく、一旦自宅に戻って入院の準備をし、入院は夕方16時過ぎのことである。このように、智亮の状態は「緊急」、「救急」というようなものではなかった。

  原告らが引用する甲B10は、「救急時の心電図・血行動態モニター」というタイトルからも明らかなとおり、救急時の対応について述べたものであり、本件において引用すべき文献ではない。

 

2)原告らは、智亮は心房粗動、心房細動を伴っていたので、心電図モニターによる常時心拍監視を行う必要があると主張する(6418行)。しかし、実際の臨床現場では、心房粗動、心房細動を伴う患者でも、外来で経過を見ている場合が多く、必ずしも入院が必要とされるわけではない。ましてや、心房粗動、心房細動があるからといって、直ちに心拍の常時監視が必要となるわけではない。

 

 (3) 原告らは、心房粗動や心房細動に関する文献を引用しているが、以下に述べるとおり、これらの文献で指摘されているような内容については、きちんと対応できており、原告らの主張の根拠となるようなものではない。

 

  @ 心房粗動に関して

 

 ア 原告らは、甲B12の「時に11房室伝導となり危険である」という記載を引用しているが、その直後も含めて引用すると、「時に11房室伝導となり危険であるため原則として心房粗動での経過観察は好ましくない。」というのが甲B12の内容である。本件では、心房粗動という不整脈に対し、ワソランを投与して脈拍のコントロールをしており(乙Al5頁)、単に経過観察としていたわけではない。

 

 イ 原告らは、甲B17の「心室レートが高いと心室充満の時間が不足し、心拍出量の低下と酸素消費の増加を招きます。胸部症状や心不全の症状が生じますので、はやめにレートを落とす工夫をしなければなりません。」という記載を引用しているが、本件では、ワソランの投与で心室レートをコントロールしている(実際の心拍数は毎分5090が多かった。乙A13033頁の看護記録参照)。被告担当医は、心拍数のコントロールが重要であることは十分認識している。心拍が早すぎるのも問題であるが、逆に、遅すぎることも心不全の原因となることがあり、安静時、睡眠時、活動時などいろいろな状態での心拍数を評価することが重要である。そのため、本件では、病棟での通常の生活の過程で(安静時、睡眠時、活動時など)、脈拍等がどのような変化するかを事後的に解析し、薬の量の調整等、治療に役立たせる目的で、心電図モニターをホルター的に使用していたのである。甲B17110頁の「具体的やり方」という欄に、「薬物治療を行うときは、心電図のモニターも行います。いつ洞調律になったか、あるいは洞調律が維持されているかどうかわかるようにして治療します。」と記載されているのも、そういった趣旨である。

 

  ウ 原告らは、甲B12の「心房粗動でもその持続により血栓塞栓症を少なからず合併する」という記載を引用しているが、その直後も含めて引用すると、「心房粗動でもその持続により血栓塞栓症を少なからず合併するとみられるため、胸部]線写真のみならず経胸壁ならびに経食道心エコー検査は可能な限り施行する」というのが甲B12の内容である。本件でも胸部]線写真は撮られているし、心エコーも実施されている。そして、血栓症を予防するため、ワーファリンの投与も行っている。

 

 A 心房細動に関して

 

 ア 原告らは、甲B12の「心室レートコントロールにより心不全の発症を防止す   る」という記載や、甲B17の「心室レートの高い心房細動は危険な病態」、「100/分を超える心拍数なら心室レートのコントロールは不良」といった記載を引用しているが、このようなことは、被告担当医は十分承知しており、前述のとおり、ワソラン投与によって、適切にレートコントロールを図っているのである。

 

 イ 原告らは、「もうひとつの問題は、心房細動は血液の停滞により心房内で凝固系の冗進を招き、遊離した血栓による脳梗塞、四肢、腸管の動脈閉塞の危険が増すことである(右心房内で血栓が生じていれば肺梗塞の危険がある)。」とも主張するが、これらも被告担当医は一般論として十分承知しており、血栓症を予防するためにワーフアリン投与を行っているのである。原告らは、甲B17114真の「血栓塞栓症の予防には抗凝固療法(ヘパリンやワルフアリン)が必要です」との記載にマーカーを付して強調しているが、被告病院で   は、きちんとワーフアリン(=ワルフアリン)の投与を行っている。

 

4)原告らは、仮に重篤な不整脈の有無をチェックするためではなく、単にホルター目的のみで心電図を検討したいのであれば、正しくホルター心電計を装着し、そのための保険請求を行わなければならないと主張する(768行)。しかし、ホルター心電図検査とは、心電図の波形をおよそ24時間磁気テープに記録したえで、後にそれを解析装置にかけて結果をプリントし評価を行う方法である。記録をしている間は、心電図がどのようになっているかは分からないし、記録し終わった後でも、その結果が直ちに分かるわけではない。このような検査であるため、実際には、外来で経過を見ている患者に対して、日常生活上での心拍の変化、不整脈の評価を行うために利用されるものであり、本件の智亮に対して は有益なものではない。智亮について、ホルター目的で心電図を検討したいのであれば、ホルター心電計を利用して、そのための保険請求をすべきであったという原告らの主張は正しいものとは言えない。

 

5)原告らは、本件でも心電図モニターの常時監視義務があると主張し、甲B15、甲B16、甲B18を引用する(71022行)。このうち、甲B15は、「心電図は、重症救急患者の監視に際して必須のモニター項目であるが、正しく用いないと不必要な警報の嵐に悩まされたり、本物の危険なサインを見落としたりする。正しい、モニタリング方法と本法の目的や限界を熟知することが、救急診療を行うにあたっては不可欠である。」(下線は被告ら代理人による)という記載で始まっていることから理解できるとおり、常時監視・即時対応が必要な重症救急患者に関する記載であり、本件症例に当てはまるものではない。甲B16や甲B18は、どういった患者群についての記載なのか詳細は分からないが、内容としては、異常を知らせるアラームに気付いた場合には無視してはいけないというものである(およそ教科書であれば、あるべき理想論として指摘のような記載になるであろう)。しかし、本件では、常時監視が必要な患者病棟ではないこともあり、前提として、誰もアラームに気付いていないのである。ICUCCUのような常時監視の必要はないが、心電図モニターを継続的に装着して脈拍等の1日のトレンドをみて薬剤等による治療効果を事後的に把握するというホルター的な心電図モニターの利用が有益な患者群は現実問題として存在するのであり、そういった患者に対して、24時間の常時監視をするというのは、実際の有限の人的体制の中では不可能である(甲B8、乙B3、乙B4)。原告らの指摘する教科書によっても、本件で常時監視の義務があるとか、アラームに気付かなかったことが過失であるといったことにはならない。

 

6 MRI検査に関する【求釈明・証拠提出】(2箇所)について(9頁)

 

 MRI検査結果は、コンピュータのハードディスクに記録して保管されている(診療の際にも、医師は、フィルムではなくコンピュータ上で画像を見ている)。このMRI検査記録については、CDROMにコピーしたものを、期日間に、平成18131日付で原告ら代理人に郵送した。これを乙A6として証拠提出する。MRI検査の行われた時刻は、乙Al32頁に「1530MRI」との記載があるので、その頃であろうと思われる。検査結果判明時刻は、MRI検査実施時刻と同じである。このMRI検査は、下記の医師団が映像をリアルタイムに観察しながら行っている。「血栓の血液に接している面は平滑であり、右心房内の血液は血栓の前を滑らかに流れていた」との主張の根拠は、MRIの所見である(乙A7の説明を参照されたい)。

 

7 10頁の【求釈明】について

 医師団とは、朴、西山、小林、石橋の4人(すべて小児科医)である。さらに放射線技 師も加わり撮影する角度などを検討した。協議は、撮影中に、上記メンバーで行った。

 

8        原告らは、「塞栓症を起こすことはない」との安易な判断をもとに、塞栓症に対する確 実な予防策をとらなかったことは、到底妥当とはいえないと主張する(101314行)。 しかし、被告担当医らの、「容易に剥離したり、塞栓症を起こすことはない」との判断は、MRI所見に基づく医学的に妥当な判断であり、安易な判断ではない。原告らは、「塞栓症に対する確実な予防策」というが、具体的に何をすべきだったというのであろうか。本件では、ワーフアリンを投与して、血栓の増大による塞栓の予防を行っていた。原告らは、そうではなく、血栓除去の手術をすべきだったというのであろうか。しかし、塞栓症発症のリスクの程度や血栓除去手術のリスクの程度などを総合的に勘案すると、本件のワーフアリン投与が最も合理的な選択である。

 

9 原告らは、「血栓発見後は、塞栓症に対する十分な予防を行なうほか、巨大血栓の存在について病棟看護師に伝え、重篤な不整脈についての十分な安全管理、危急時の即応を指示する義務があった。」と主張する(101912行)。しかし、本件ではワーフアリン投与により塞栓症に対する予防を行っている。それ以外に、具体的にとるべき血栓症に対する予防策があったというのであろうか。血栓の存在を病棟看護師に伝えていないことは事実であるが、それは、被告担当医の医学的判断が血栓発見前後で特に変化はなく、基本的に状態は安定しており、塞栓症が発症する可能性は極めて低く、安静度等についても特段の考慮は必要ないと判断できるものであったからであり、伝えていないことを義務違反ということはできない。

 

 なお、原告らは、「重篤な不整脈についての十分な安全管理」と述べているが、この

時点で重篤な不整脈は存在せず、それについての十分な安全管理を具体的に指示

すべき義務も認められない。

 

 

2 被告らの主張に対する原告らの反論について(原告ら準備書面111貫〜17頁)

1 死亡原因について

  原告らは、12頁で、「被告らは、死亡原因について以下のア,イと推定している。」と 述べた上で、被告らが推定している死亡原因ア、イをまとめているが、死亡原因イのタイトル(「イ排便時のいきみによる循環虚脱(迷走神経反射)」)は不正確である。被告らが、死亡原因イとして述べている内容は、迷走神経反射ではないので、「イ排便時のいきみによる循環虚脱(迷走神経反射)」というタイトルのうち、(迷走神経反射)は削除すべきものである(1316行目、17行目も同様である)。

 

2 死亡原因が排便時のいきみによる循環虚脱の場合の因果関係について

 原告らは、排便時のいきみによる循環虚脱の場合は、肺梗塞のように機械的閉塞が生じているわけではなく、一時的な循環障害なので、排便時のいきみ自体がなくなれば、心臓マッサージ、昇圧剤等の救命措置を施して血流量を確保すれば救命は容易であったはずであると主張する(131621行)。しかし、智亮は、フォンタン手術後の遠隔期にあり、正常心臓の患者を前提とする議論には意味がない。

 すなわち、被告ら第1準備書面2728頁で主張したとおり、智亮の場合は、肺動脈への駆出機能を有する右心室が機能せず右心房のみで構成されているため、右心の血液駆出力が非常に弱く、肺への血流が乏しいため、もともと肺から肺静脈を経て左心房へ還流する血流は少ない。加えて、フォンタン手術によって、右心房と肺動脈を直接吻合しているのみで、そこに逆流を止める弁もない状態であるため、右心房の拍動を期待して心臓マッサージを行っても、右心房の血液が肺動脈に流れるよりも上大静脈、下大静脈へ逆流してしまう可能性が高く、肺への十分な血流確保は期待できない。このように、右心から肺への血流を十分に確保できないため、肺から左心房、左心室への血液還流も乏しく、心臓マッサージを行っても、左心室から全身に駆出される血流は乏しく、心臓マッサージが功を奏する可能性は極めて低い。また、心臓マッサージによって右心房内の血栓が飛び散り肺塞栓を引き起こす可能性もある。よって、心臓マッサージだけで循環動態が改善するとは考えられず、結局、救命するためには、人工心肺装置等の別の経路を使って循環を確保する必要があるのである。

 この点、原告らは、「フォンタン術後であっても心臓マッサージの効果がないなどということはない」という反論をしているが、被告らも、心臓マッサージの効果が全くないとまでは言っていない。構造的に心臓マッサージの効果が極めて低いので、救命可能性は極めて少なかったと主張しているのである。肺梗塞のように機械的閉塞が生じていなくとも、本件では救命はおよそ不可能であったというのは、専門家の一致した意見である(甲B8、乙B4、乙B5)。

 

3 肺梗塞に対する治療について

 

1)原告らは、「被告らは、速やかな心肺蘇生、PCPSの装着、抗凝固療法を怠った。さらに、血栓溶解もしくは肺動脈血栓掃除術は最後まで行わなかった。」と主張する(1546行)。しかし、午前1045分頃、トイレ内で智亮を発見した後、直ちに外に運び出して、その場で心臓マッサージ・人工呼吸(マスクとアンビューバッグによる呼吸サポート)を開始して、気管内挿管や強心斉リボスミンの静注も行い、挿管チューブからの加圧及び心臓マッサージを継続しながら、1058分にはCCUに運び入れ、1116分にはPCPSの導入に着手、1125分にはPCPSを開始できている(乙Al27頁、35頁、50頁、53頁)。   原告らは、発見後CCUへの搬送に13分、PCPSの導入には9分を要している(短縮の余地もある)と主張し(15頁最終行〜161行目)、被告らの上記対応が遅かったかのように主張するが、上記の時間経過は、最高水準のものであり、智亮発見後の心肺蘇生、PCPSの施行は極めて適切になされている。原告は、抗凝固療法を怠ったというが、どの時点でどのような抗凝固療法を行うべきであったというのであろうか。本件では、急変前から(入院当初から)、ワーフアリン投与による抗凝固療法を行っている。また、原告は、血栓溶解もしくは肺動脈血栓掃除術を最後まで行わなかったというが、これも誤りである。本件では、血栓溶解療法として、ソリナーゼ(乙B6)を注射している(乙Al51頁)。

 

2)原告らは、「被告らは、血栓除去を試みるどころか、血栓がどこに生じたのか確認すらしなかった」とも主張する(15910行)。しかし、血栓溶解療法により血栓除去を試みていることは前述したとおりである。そして、PCPSが奏功して循環動態が回復した場合には、血栓の有無・場所を特定し、血栓が存在すれば緊急手術による肺動脈血栓摘除をすることも可能性としては考えていた。しかし、循環動態は回復しなかったのである。血栓の有無の確認、場所の特定は、行うとすれば、CTMRI、カテーテル検査等であろうが、まずは循環動態の回復が最優先であり、PCPS施行中で自己心拍もない状態の患者に対して行うべき検査ではない。

 

4 肺梗塞の救命可能性について

 原告らは、甲B20の「適切な治療により死亡率は68%に低下する」という記載を引用し、肺梗塞は死亡率は高いとはいえ、決して救命可能性が低いわけではないと主張する(151725行)。しかし、甲B20の死亡率の記載は、重症例から軽症例まですべて含んでの値である。肺梗塞といっても、肺動脈が詰まった部位、詰まり方の程度によって症状程度は様々であり(何となく調子がおかしいといって独歩で来院し、何日かたってから肺梗塞が判明するといった症例もある)、「ショック・失神を呈した例での死亡率は極めて高くなる(44%)」(甲B191頁最終行)といった報告もあるように、重症例では予後も当然悪くなる。

 さらに、本件では、フォンタン術後の遠隔期にあることも考慮する必要がある。甲B20等の死亡率の数値は、基本的には、ほとんどが、フォンタン術後の遠隔期にあるような奇形の心臓ではなく、正常心臓であることが前提である。フォンタン術後の遠隔期にある智亮の場合には、それよりはるかに救命可能性は低くなる。被告らは、急性期を乗り切るために全力を尽くして適切な治療をしたのであるが、本件では、たとえアラーム音に気付いてすぐに智亮の捜索が開始されていたとしても、その救命可能性が殆どなかったことは、専門家の一致した意見である(甲B8、乙B4、乙B5)。

 

5 原告らは、「本件では、被告らはアラームが鳴っているにもかかわらず、実際は何の捜索もしていないのが最大の問題である。」と主張する(161011行)。しかし、被告らは、鳴っているのに気付きながら放置していたわけではなく、アラームに気付いていないのである。被告ら第1準備書面5頁でも述べたとおり、本件病棟の患者は、ICUCCUと違い、常時監視・即時対応が必要な重篤な患者はおらず、基本的には、何か具合が悪ければナースコールをできる患者群である。そして、本件病棟は、オープンフロアで目も届きやすい。心電図テレメータも、常時監視のためにつけているわけではなく、ホルター的に使用していたのであり、また、無線の心電図テレメータは体動等によるノイズを拾つたりしてアラームの誤作動も多いことから、入院患者の入院生活への影響も考えてアラームの音量はほとんど意識しなくて良いように最低レベルに押さえていた。アラームないし異常波形を確認したらできるだけ対応する方がよいであろうが、ICUCCU以外の一般病棟における看護職員の人員配置では、セントラルモニターの常時監視と即時対応は不可能である。しかも、病棟内フリー(あるいは院内フリー)という行動制限を設定しない患者に心電図テレメータを装着している場合は、他の階に行ったり、トイレに行くなどの細かい行動確認は不可能である。また、当時は、緊急入院患者や日本語を解せない外国人入院患者などもおり、非常に慌ただしい状態であった。アラームに気付かなかった点についても、本件病棟の看護職員に義務違反はなかった(甲B89頁、1415頁、17頁等参照)。原告らは、「問題のトイレは、ナースコーナーの目の前に位置し、捜索は容易である。とくに智亮がベッドに不在だとすれば、トイレは第一に捜索すべき場所であった。」とも主張するが(161114行)、智亮は、院内フリーの状態であるから、どこにいても不思議ではなく、そもそもベッドに不在であることによって直ちに捜索が必要となるわけではない。また、捜索するとしても、第1に捜索すべき場所が当該トイレであるとは言えない。

 

6        原告らは、死亡診断書(甲A3)に「徐脈後直ちに心肺蘇生などの処置を施せば、死亡に至らなかった可能性がある。」との記載があることを根拠に、本件では救命の可能性は十分にあったと主張する(1715行)。しかし、原告が指摘する死亡診断書の記載は、原告らからの執拗な抗議の末に、やむなく記載した内容である。死亡診断書には、通常このような記載は行わない。急変後すぐに対応していても助かる可能性はゼロであったのかと詰問され、可能性はきわめて低いがゼロとは言い切れないと答えたところ、それだったら「死亡に至らなかった可能性がある」という程度は書けるだろうと要求され記載したものである。内容としては、救命可能性は極めて低いがゼロとは言い切れないというものであり、原告のいうように救命可能性が十分にあったということではない。

 

3 新たな過失の主張(ワーフアリンが治療域に達していない)について

1 25頁の【求釈明】について

 @ワーファリンの正確な投与時刻は不明であるが、通常は、午後6時頃に夕食を摂取したあと、午後6時半〜7時頃に投与する。

 Aワーフアリン以外の投薬は、定時薬として、ワソラン、アスパラK、アルダクトンA、ザイロリック、ラシックス、頓用としてアタラックスP、ボルタレンがある(乙Al3738頁)。

 B食事内容は、本準備書面末尾に添付した別紙のとおりである。なお、322日の

 夕食は摂取していない。

 

2 2526頁の【求釈明・証拠提出】について

 

 319日の採血時刻、結果判明時刻は正確には分からないが、午後4時過ぎの入院後、午後5時頃には採血し、間もなく結果は判明しているのではないかと思われる(乙Al23頁の入力は午後634分となっており、血液検査データの記載もあるので、その時刻以前に検査結果は判明していたのではないか思われる)。

 322日の採血時刻、結果判明時刻も正確には分からないが、通常は、朝食前の午前7時頃に採血しており、本件でもそうであったと思われる。検査結果は、午前中のうちには判明していると思われる。

 

3 原告の新たな過失主張について

 原告らは、319日(入院当日)の血液検査結果でINR1.26TT346%であったのが、322日の検査でもINR1.20TT412%であり、未だ治療域が確保されておらず、この点に義務違反があると主張する(25頁)。しかし、319日(入院当日)の血液検査結果は、同日夕方(ワーフアリン内服開始前)のものであり、322日の血液検査結果は、同日朝午前6時頃のものである(血液検査の間隔は約60時間)。その間、ワーフアリンの内服は、19日の夕食後、20日の夕食後、21日の夕食後の3回(それぞれ1mg錠を1錠)である。原告提出の甲B39261頁にも「作用発現までの時間は数日はかかる」とされているとおり、ワーフアリンは、服用すればすぐに作用が発現するような薬剤ではない。本件では、ワーフアリン投与開始前の血液検査の結果で、TT346%と異常低値であるが(基準値は70130。乙Al43頁参照)、TTが低値ということは、血液が固まりにくい状態(血栓はできにくい状態)ということである。ワーフアリン療法のTTの目標値としては、原告らが引用しているとおり、さらに低値であるが、もともとTTが異常低値であるため、通常のワーフアリンの導入方法を採用すると、急激な凝固能低下による出血の副作用が懸念された。そこで、被告担当医は、ワーフアリンは111mgという少量から投与を開始して、22日の朝に再度血液検査をして、TTの値の変化を評価し、その後のワーフアリンの投与量を決定することとした(原告らが引用している導入法でいうと、ローディングドース法ではなくデイリードース法である)。そして、22日の検査結果では、ワーフアリンの効果が不足しており、むしろTTの値が上昇していたので、被告医師は、22日夜からはワーフアリンの量を112mgに増やしたのである。原告も準備書面124頁〜25頁紹介しているとおり、ワーフアリンのデイリードース法は、「数日〜1週間をかけて維持量へ移行する方法」である。3日間ワーフアリンを内服した後の血液検査結果でINRTTの値が改善されておらず、治療域に達していないからといって、過失と評価すべきようなことではない。出血の副作用も考慮しながら、少量からスタートし、後の検査結果をみて増量したという本件のワーフアリン投与方法に過失はない。

 

4 智亮が塞栓症の高リスク群であるとの主張について

 原告らは、ア.フォンタン術後の遠隔期の心不全であり、右心房拡大も見られ、心房細動もあったこと、イ.巨大血栓が存在したこと、ウ.利尿剤を投与していたこと、を理由に、智亮の塞栓症のリスクは高いので(19頁〜20頁)、塞栓症予防義務(17頁)があったと主張する。被告も、原告主張のア、イ、ウが、一般論として塞栓症のリスク要因となりうることは否定しない。しかし、近接した時期における塞栓症の発症の具体的可能性を予想できるようなものではなかったし(実際、塞栓症が起こったのかどうかも定かではない)、塞栓症予防義務は、入院当初からの適切な抗凝固療法の実施によって果たしている(血栓の存在は確認できなかったが、なかった場合は新たな血栓の形成の予防、あった場合は血栓の拡大の予防のために、入院当初からワーフアリンの投与を行っているのである)。

 

 本件では、心不全により著明な浮腫が存在し、体重は、前回入院時(平成153月)に比べて約6kg増加していた。この浮腫を改善するためには利尿剤の投与が必要であった。利尿剤投与により体重は減っているが、これは浮腫が取れてきた(余分な水分が排出された)からであり、血管内の血液濃縮が進んでいるわけではない。本件では、水分制限は行っておらず、水分、食事も充分に摂取できていたのである。原告らは、入院当初からすでにへマトクリット値が正常値よりやや高く血液濃縮気味であり、その後利尿剤投与による体重減少で急速に血液濃縮が進んだかのように主張するが(20頁ウ)、そうではない。へマトクリット値やヘモグロビンの値が入院当初からやや高いのは、血液濃縮(脱水)があったからではなく、チアノーゼ(酸素不足)に反応して赤血球が増えたためと考えられる(酸素が不足すると、酸素を運ぶ赤血球を増やすように生体は反応する)。

 

以上