訴状及びその反論(反論の部分は青字

2005年10月4日

東京地方裁判所民事部御中

 

    

    

 

      

上記代表者理事  

      

      

      

      

 

第1 当事者

1 被害者及び原告ら

(1) 被害者

 故間下智亮は,2004(平成16)年3月23日,後述の本件医療事故により死亡した。死亡当時23歳であった。

  11)については、智亮が医療事故により死亡したとの点は否認するが、その余    は認める。

    

(2) 原告ら

 原告間下浩之(以下「浩之」という)及び原告間下啓子(以下「啓子」という)は,智亮の父,母である。

12)は認める。

2 被告ら

(1) 被告財団法人日本心臓血圧研究振興会

 被告財団法人日本心臓血圧研究振興会(以下,単に「被告」もしくは「被告病院」という)は,1964(昭和42)年に設立された財団法人であり,「心臓及び血圧に関する諸疾患の治療並びに予防の画期的進歩を促すため緊要なる研究等を助成振興し,これに必要な診療を行なう」ため,病院施設の設置,運営,維持等の事業を行なうことを目的としている(甲2・登記簿謄本)。

 被告は,1977(昭和52)年,最新最高の設備を備えた循環器専門病院として東京都渋谷区に榊原記念病院を設立し(ベッド数152床),その後,1982(昭和57)年に榊原記念クリニック(新宿区西新宿,新宿NSビル4階所在)を,翌1983(昭和58)年に榊原記念クリニック分院検診センターを,1990(平成2)年に心臓リハビリテーションセンターを開設した(甲3・被告ウェブサイト記事「病院概要」「施設・特徴・沿革」)。

 被告は,本件医療事故のわずか3ヶ月前にあたる平成15年12月22日,榊原記念病院を東京都府中市朝日町3丁目16番地1号に新築移転した(ベッド数は320床に増床)(甲3・被告ウェブサイト記事「新病院紹介」)。

(2) 被告村上保夫

 被告村上保夫(以下「被告村上」という)は,被告病院の医師であり,事故当時は被告病院の副院長,現在は院長である。被告村上は,智亮の出生後間もなくから同人の治療に携わってきたが,後述する本件事故当時,原告らに対して病院の最高責任者として対応した。

(3) 被告ら看護師

 被告角口亜希子,被告刈谷由香及び被告水木麻衣子(以下それぞれ「被告角口」「被告刈谷」「被告水木」という)は,いずれも本件事故発生当時,本件病棟を担当していた看護師らである。

21)〜(3)は認める。

 

第2 被害者智亮の入院の経緯

1 先天性心疾患,フォンタン手術とその後の経過

 智亮は,1980(昭和55)年12月26日,東京都新宿区所在の国立国際医療センターで出生した。出生後,同センター及び被告病院において,三尖弁閉鎖症(※1)と診断され,1987年(6歳時)に被告病院にてフォンタン手術(※2)を受けた。

※1 三尖弁とは,右心房と右心室との間の房室弁であり,心室の収縮期に閉じ,拡張期に開いて心房から心室に血液が流入する役割を果たす。三尖弁閉鎖症は,三尖弁口の欠如,心房間交通,右室低形成,肺循環と体循環の交通等を呈する先天性心疾患の一つである。

※2 右房と肺動脈を吻合し環流静脈血を肺動脈内に誘導する手術であり,手術当時の根治手術であった。

 幸いにも,上記心内修復手術は成功し,その後の経過も順調に推移した。智亮は月1回の割合で国立国際医療センターを受診するほか,年2〜3回の頻度で被告経営の榊原記念クリニックを受診して(担当M医師),経過観察を受けていた。

 智亮は都立高校を卒業,国立大学に進学,システム工学を学んだ。2004(平成16)年3月に同大学を卒業し(3月24日に卒業式が予定されていた),同年4月から同大学の大学院に進学予定であった。

認める。

2 下半身の浮腫による入院

 智亮は,2003年秋ころより,ときおり浮腫(細胞外液が組織間隙に増加した状態)が見られるようになっていた。翌2004年3月15日から2泊3日の旅程で京都の卒業旅行を終えて同月17日に帰宅したところ,翌18日夜には下半身の浮腫が著明となった。浮腫の原因は,当時,心性浮腫も疑われていた。

 そこで,智亮は,同月19日国立国際医療センター(東京都新宿区戸山所在。高度先駆的な医療を行う総合医療機関,総病床数925。)を受診したところ,K医師より不整脈を指摘された(後に,心拡大,心房細動(心房が局所的,非周期的に頻回に興奮し細かく震える状態)であるとの説明があった。)。

 K医師の勧めに従い,智亮は,同日,榊原記念クリニック小児科外来にて村上保夫医師を受診,同医師の指示で,精査加療のため同日夕,榊原記念病院小児科に緊急入院した。

 榊原記念病院での担当医はA医師(主治医),B医師であった。しかし,実際に入院した病棟は循環器病棟ではなく一般患者を受入れる総合救急病棟であった。智亮は,3月19日に,同病棟の4階4402号室(隔離室)に入室後,同日夕方午後5時21分に4424号室(4人部屋)に転室した(甲4・病棟管理日誌,3月19日付の部分)

 智亮は,3月19日の入院当初は安静度につき「病棟内歩行可」とされていた。本件事故後被告らが原告らに行なった説明によれば,同月22日には「院内歩行可」とされていた。

概ね認めるが、319日の入院が「緊急入院」と表現されている点について一

言触れておく。

 智亮は、319日の榊原記念クリニックの受診で、心拡大と心房細動を認めら

れ、心不全と診断されたが、3月24日の大学の卒業式には是非出席したいとの意

向であったため、その日のうちに、心不全治療及び精査目的で大学に近い榊原

記念病院(被告病院)に入院することとなったのであるが、入院当初から、自宅と

ほぼ同様な生活をおくることができる状態で、「病棟内フリー」(病棟内歩行可)とさ

れていた(安静度の指定は、重い順に、絶対安静、ベッド上安静、トイレ歩行可、

病棟内フリー、院内フリーとなっている)。「緊急入院」という言葉から連想される

重篤な症状があったわけではない。

 

3 病棟の配置及び形状等

 上記病棟は,いわゆるオープンスペース型となっている。感染隔離用の隔離室(計2床)を除く7つの多床部屋(計28床。うち小児12床,成人16床。)は,病床と病床との間や廊下と病室との間には,部分的には壁はあるものの扉はなく,カーテン等で仕切る構造となっている(甲5・写真撮影報告書,甲6・病棟図面)。

 看護師のためのスペースも,廊下との間のパーティションは設けられていないナースコーナーとなっている(いわゆるナースステーションなどと呼ばれる壁などで閉じられた空間ではない。)。ナースコーナーには,廊下中程に看護師用のデスクが設置され,その上や周囲に各種機器,帳簿等が配置されている。

 智亮のベッドは,ナースコーナーから見て右前方の4424号室の,一番奥窓際左側位置にあたる。

 なお,ナースコーナーの右前の4424号室入り口には,トイレが設置されていた。本件事故(後述)で智亮が倒れているのが発見されたのは同トイレの中であった。ドアはスライド式になっており,中から鍵をかけていた場合でも,外側からコイン等を用いて開けることが可能である。

認める。

 

4 心電図モニタの装着と設定状況

 3月19日,入院時に智亮を診察したB医師の指示により,智亮は心電図モニタを装着され,以降24時間監視におかれた。智亮の装着した心電図モニタは,リモートコントロールされており,送信機(医療用テレメータ)が患者の身体に付けた電極から電気信号を拾うと,集中型受信機(日本光電工業株式会社製,ORG−9200)に向けて無線で電波を飛ばし,ネットワークを通じてナースステーションに設置されたセントラルモニタ(同,CNS−9303)に情報が集約される。看護師はセントラルモニタの液晶ディスプレイを観察して,複数の患者の心電図のモニタリングを行なう仕組みとなっていた。

 緊急時には,セントラルモニタのアラーム(警報音)が鳴動し危険を知らせる。アラーム音は緊急度により3段階で通知され,緊急の場合は「ピロロロロ,ピロロロロ」,警告の場合は「ピンポーン,ピンポーン」,注意の場合は「ポーン,ポーン」と音が鳴る。アラーム音は,アラーム発生中にアラーム解除キーを押すことにより2分間のみ消去され,2分後経過後に再度アラーム音が発生する(甲7・事故調査委員会に提出された写真「アラーム動作」「電波切れアラーム」「電極確認アラーム」「ノイズアラーム」)。

 セントラルモニタの使用にあたっては,システム全体の設定(アラームの種類,表示方法,大きさ,優先順位,一時解除,On/Offの設定,アラーム発生時の動作等も含む),患者個人の設定(表示波形の選択,感度の設定,表示する数値データの選択等)が行なわれる。

 アラームの音量は,最小1から最大7まで設定できる。原告らは,平成16年6月22日,本件事故に関し,証拠保全を行なったが,検証当時の音量は最小の1に設定されており,後述の本件事故当時も,同様に音量は最小の1であったと推測される。

  概ね認めるが、冒頭の、「319日、入院時に智亮を診察したB医師の指示

 により、智亮は心電図モニタを装着され、以降24時間監視におかれた。」との主

 張に関して、一言述べておく。

  入院時に心電図テレメータの装着指示は出されたが(A医師の指示によりB 林医師が電子カルテに入力)、指示を受けた看護師からは「テレメータがありませ

 ん」と言われ、「余りがあれば装着を」といった程度の指示であった。テレメータが

 見つかり装着となったが、装着の理由は、重篤な不整脈の有無を常時チェックし

 即時対応するためというようなものではなく、心房細動があったため、病棟での身

 体活動による心電図変化(心拍数や頻脈・徐脈の程度)をホルター的に事後的に

 振り返って観察し、その後の治療に生かすためであった(心電図テレメータのホ

 ルター的な使用)。心電図テレメータを装着されているので、物理的に24時間心電図がモニターされていたのはその通りであるが、特別な集中管理や24時間監

視が必要とされていたわけではない(甲B814頁参照)。

 

「ホルター」とは、長時間の日常生活中の心電図を記録機で連続的または間欠

  的に記録しておいて、後に振り返って心電図の内容を解析し、状況を把握する機

械のことをいう(乙Bl参照。ここで、心電図テレメータを「ホルター的」に使

用したという趣旨は、ICUIntensive Care Unit)やCCUCoronaryCareUnit

のように急変の具体的危険性があるため24時間集中継続監視するために心電

図をモニターするということではなく、病棟での通常の生活の過程で(就寝時、

起床時、歩行等の身体活動時など)、心電図がどのように変化するかを事後的に

解析し、薬の量の調整等、治療に役立たせる目的で使用したということである。

    

 

第3 本件事故の発生と責任原因

1 入院後の経過

 智亮は,3月19日入院後,利尿剤投与により体重が減少し(20日の体重70キログラムから21日には66.5キログラム,22日には64.5キログラムに減少),浮腫は改善した。19日夜,A医師が,智亮と啓子に対し,「心房細動があるためカウンターショックを行ないたいが,血栓の有無を確認する必要がある」と述べていた。

 智亮は,3月22日にMRI検査を受け,同日夕方には,右心房に7センチの巨大血栓があることが判明した。しかし,このとき家族に対して血栓のあることは伝えられなかった。さらに,その後,原告ら遺族が智亮を担当した看護師らから聞いた話によれば,看護師らに対しても血栓の存在について報告・指示はなされていなかった。

認める。

2 看護師の体制と当日の看護担当者

 総合救急病棟の管理は,病棟管理日誌によってなされており,看護部長及び被告角口がその責任を負っていた。

 平成16年3月23日,本件事故(後述)発生当時,本件病棟に配置されていたのは,被告角口,同刈谷,同水木の看護師3名,及び看護助手1名であった(甲4・病棟管理日誌,3月23日付部分)。

 同病棟の患者数は,前日3月22日には内科10名,小児科1名(智亮)の計11名であったが,3月23日には午前8時40分から午前10時00分までの間に計3名(内科2名,外科1名)が入院したため,本件事故当時は智亮も含め合計14名の患者が入床していた。

 同日午前8時〜11時までの間の患者在室状況:

    4401号室    1名

    4424号室    2名(智亮を含む)→4名(8時40分,10時00分に各1名ずつ入室)

    4425号室    3名

    4426号室    1名→2名(9時20分に1名入室)

    4427号室    4名

 (甲4・病棟管理日誌,3月19〜23日付部分より)

 後に被告が説明したところによれば,被告水木は4424及び4425号室を担当し,被告刈谷は4401,4426及び4427号室を担当し,被告角口はリーダー看護師として全体を統括する立場にあった。

 なお,被告病院は循環器医療の専門として著名であり,循環器疾患に対する看護についても,独自の教育・養成・資格制度を設け(「SRN(Sakakibara Registerd Nurse)認定制度」),その高度な専門性を謳っている(甲3・榊原記念病院ウェブサイト記事)。被告病院所属の看護師らは,循環器看護に関する専門書,論文等の執筆にも数多く携わっている(『循環器疾患ナーシング』(学研2001年等)。

認める。

3 本件事故

(1) 頭痛の訴え

 智亮は,3月22日夕刻ころより,特に強い頭痛を訴えていた。被告病院は,頭痛の原因については,同日午後3時30分ころに行なわれたMRI検査の際に用いられた造影剤の影響であると,智亮に説明していた。

1)は認める。

(2) 3月23日朝,朝食後個室トイレに入る

 智亮は,3月23日,起床後,病床においていたPCから自ら設置しているインターネット上の掲示板に,友人に対して前日の見舞いの礼を述べ,激しい頭痛と吐き気を感じたこと等を記載した。智亮は,午前8時45分ころ,食事をとり自ら下膳した。

 なお,被告病院では午前8時に心電図のプリントアウトを行ない,カルテに貼付することとしているが,3月23日朝のプリントアウトは貼付されていない。貼付前のものが存在したか,所在については不明である。

 その後,智亮は詳細な時刻は不明であるが,病棟4階のナースコーナーから見て右前方にあった前述の個室トイレに入った。

2)は概ね認める。智亮が食事をとり自ら下膳したのは、正確には、午前84

5分ころではなく、午前830分の少し前である(甲B810頁。乙Al34頁、7

 頁などの記載は、下膳の時刻に関しては不正確な記載となっている。)。なお、訴

 状103行目の「激しい頭痛と吐き気を感じた」というのは、前日の22日のMRI

 検査後のことで、23日朝には、これらは軽快し、朝食の主食は全量摂取、副食も

23量摂取している(乙Al33頁、74頁)。

 

 (3) 心電図モニタのアラーム

 ところが,智亮の装着した心電図モニタが,以下のとおりアラームを発した。後に被告病院の看護師が原告らに交付したプリントアウトによれば,遅くとも3月23日午前9時40分には,異常を知らせるアラームが鳴動し,その後少なくとも20回にわたって繰り返しアラームが鳴動した。(甲8・心電図モニタのプリントアウト(3月23日午前9時40分〜同9時56分までのもの))。なお,後に原告が交付を受けたプリントアウトは,9時40分から9時56分の時間帯に限られているため,9時40分以前や9時56分以降のアラームについては把握できていない。

9:40         HR ALARM RECORD

9:41         V.TACHY ALARM RECORD

9:41         HR ALARM RECORD

9:43         VPC RUN RECORD

9:43         HR ALARM RECORD

9:44         CALL RECORD

9:46         HR ALARM RECORD

9:47         VPC RUN RECORD

9:48         CALL RECORD

9:48         VPC RUN RECORD

9:49         HR ALARM RECORD

9:49         V.FIB RECORD

9:50         VPC RUN RECORD

9:50         V.TACHY ALARM RECORD

9:51               HR ALARM RECORD

9:52         VPC RUN RECORD

9:54         HR ALARM RECORD

9:54         V.TACHY ALARM RECORD

9:55         HR ALARM RECORD

9:56         HR ALARM RECORD

(注)アラームの種類

HR ALARM RECORD:心拍数に異常があったときのアラームである。

V.TACHY ALARM RECORD:9拍以上の心室性期外収縮が連続したときのアラームである。心室性期外収縮は,心室から異常刺激が発生して期外収縮が起こった状態である。

VPC RUN RECORD:設定値以上の心室性期外収縮が連続したとのアラームである。設定値は3〜8拍の間で設定される。

CALL RECORD:看護師を呼び出しがあったとの記録である。

V.FIB RECORD:心室細動が検出されたときのアラームである。心室細動は,心室のあらゆる部位から刺激が発生し,心室が細かく震える状態であり,心室が血液を駆出できない状態で,脳血流が途絶し,致命的となる。

 心電図上,智亮の心拍数は,9時40分から9時43分頃までは1分間に約150拍の頻脈であったが,9時46分以降は1分間に約40拍,9時50分ころには約30拍の徐脈となった。さらに9時52分以降は10秒以上も間隔をあけて脈が振れるようになり,9時54分から同56分までの間は細動があるのみでほとんど脈が振れず,心停止に近い状態となった(いずれも心電図波形からの読み取った心拍数である。プリントアウトにはモニタが認識した心拍数も記載されるが実際の心拍数とは誤差がある。)。

3)は、944及び948CALL RECORDが智亮の心電図モニターが発した

アラームであるとの点は否認するが(これらは、他の患者の心電図モニターに関

する記録である)、その余は認める。なお、残された心電図モニターのプリントアウ

トから考えて、原告主張のアラーム鳴動があったと思われるが、後に詳述するとお

り、当時は、緊急入院患者や日本語を解せない外国人入院患者などもおり、非常に慌ただしい業務状態で、アラーム音が鳴っていることを具体的に認識していた

者はいない。

 (4) 被告及び看護師・医師らの不作為

 ところが,当時,智亮らの看護にあたっていた看護師3名は,何の対処も行なわなかった。

 その後,10時45分,他の患者が,トイレが長時間ふさがっていることを看護助手に指摘した。そこで初めて看護師がトイレの鍵を開けて入室したところ,心停止の状態で倒れていた智亮が発見された。9時40分のアラームから数えても,実に65分も経過していた。

 智亮はCCU(セントラル・ケア・ユニット)に移され,10時57分から心臓マッサージの実施,人工心肺の装着等の蘇生措置が施された。しかし,救命の甲斐なく,同日午後10時38分,人工心肺装置が停止され,智亮の死亡が確認された(甲9・死亡診断書)。

4)は認める。但し、心臓マッサージの蘇生措置はCCUに運んでから初めて

開始されたわけではなく、当然ながら、トイレで発見後直ちに開始し、処置を続け

ながらCCUに入室した。

 

(5) 心電図データの抹消措置

 前述のように,本件事故前後の心電図については,3月23日午前9時40分〜同9時56分までのもの(正確には9時43分〜46分までの間は欠如している。)がプリントアウトされたもののみを原告らは交付されている(甲8)。

1段落は認める

 9時40分以前にもアラームが鳴動していた可能性はあるが,その間のデータについては原告らはデータ,プリントアウトは渡されていない。また,実際は,9時56分以降にも,アラームが鳴動していたはずであるが,プリントアウトは残されていない。これは9時56分のところで,用紙が紙切れを起こしたためであると考えられる(テープ残量が少ないことを示す赤色がある。)。

2段落については、「940分以前にもアラームが鳴動していた可能性は

    あるが」との点は争うが、その余は認める。940分以前のプリントアウトがないことから、940分以前にはアラームは鳴っていないものと考えられる。

 心電図モニタは,患者の個人設定情報(姓名,ベッド名,生年月日,性別,身長,体重等),アラーム設定情報,計測データが記録される。計測データは,不整脈発生等のイベントを検出して一つのイベント毎に保存される「非定時データ」と,定刻ごとに圧縮波形の連続データが保存される「定時データ」とがある。

 患者のデータは,セントラルモニタ内のハードディスクに保存される。ハードディスクは,患者毎に領域が割り当てられており,非定時データについては最大256件,定時データについては最大72時間分の領域が確保されている。最大件数ないし最大72時間分を超えると,最も古いデータに対して最新のデータが順次上書き保存されていく構造となっている(甲10・「セントラルモニタCNS−9303の患者データの扱いについて」)。

 したがって,智亮の心電図データについては,智亮が発見された当時,その72時間前までの波形が定時データとしてハードディスクに残されていたはずである。また,不整脈発生等のイベントについても,過去最大256件まで遡って非定時データとして読み出し可能な状態にあった。

3段落〜第5段落は認める。

 ところが,被告は,本件事故発生後,ハードディスクに残されていた智亮の心電図データを全て抹消していた。心電図データについては,原告らは事故発生の当初からその開示を求めたが,被告は「調査中」と述べるのみであった。

 その後,2004年4月28日になって,被告角口,同水木が,副院長のX医師とともに原告らの自宅を初めて訪れたが,その際はじめて,被告刈谷が3月23日午前11時すぎころ,セントラルモニタに対し智亮の退床措置を行なったため,智亮のデータが抹消されたことを原告らに明かした。

6段落〜第7段落については、323日午前11時過ぎ頃に智亮の退床措

    置を行ったため、智亮のデータが抹消されたという事実はそのとおりであるが、このことは323日のうちに原告らに伝えている(退床措置を行ったのが刈谷看護師であることを伝えたのは428日であるが)。

 

 しかし,退床措置を行なう際には,セントラルモニタ画面上に,「患者の全データが失われます。退床しますか。」「はい」「いいえ」と諾否が問われる(甲11・検証調書,添付写真綴り)。医療事故の可能性が疑われる状況にあったにもかかわらず,最も重要な心電図データを抹消したのは異常というほかない。

8段落については、「医療事故の可能性が疑われる状況にあったにもかかわらず、最も重要な心電図データを抹消したのは異常というほかない。」との主張は争うが、その余の事実関係は認める。

 

 被告は,ハードディスクに保存された波形データを,プリントアウトすることも容易であったし,当然そうするべきであった。とりわけ9時56分以降の分については紙切れを起こしていたのであれば,用紙を補充して続きをプリントアウトすべきであったが,それすらも行なわないまま,あえて智亮の心電図データを抹消してしまった。

9段落は争う。後から考えれば、本件では原告のいうようにデータを保存しておくべきであったが、当時は、そこまで思いが至らず、患者が他病棟に移動する場合にはモニター上で退床操作を行うという慣行にしたがって退床操作をしてしまった。故意に「あえて智亮の心電図データを抹消してしまった。」ということではない。

 (6) 被告病院の看護体制の不備

 心電図モニタには,有線と無線のタイプがある。一般に,有線は移動や体位の変更の困難な重篤な患者に対して,ベッドサイドモニターとして用いられることが多い。他方,無線のタイプは移動が可能な患者に用いられる事が多い。いずれにしろ,アラームが鳴った場合には,それに即応して必要な処置をとらなければならない。例えば,電波切れの場合には,電極が外れる等が考えられるが,モニタリングが途切れることは危険を察知できないわけであるから,直ちに電極をつけ直すなどの措置が必要である。また,異常波形をとらえてアラームがなった場合は,患者の安否を確認しなければならないのも当然である。

 無線方式をとった場合,有線のものに比べてより多くのアーチファクト(心電図記録に入り込んで波形を歪めたり,見えにくくする雑音。周囲からの交流電流や筋肉由来の電気,体動,記録機器の不具合等から生ずる。)が生ずることもある。このような場合でも,アラームが鳴れば,患者の安否を確認しなければならない。アラームが鳴る以上は,それが患者の異常を示しているのか,反対に日常動作を行なっている印なのかを確認する義務がある。

 ところが,被告病院の看護師らはアラームが鳴っても,患者を自分の目で確認するという基本的な義務を果たしていなかった。実にこの感覚の麻痺のために智亮は救命の機会を奪われることになった。

   1段落から第3段落については、第1段落の第1文及び第2文を認め、その

  余を争う。

   本件病棟の患者は、ICUCCUと違い、常時監視が必要な重篤な患者は

  おらず、基本的には、何か具合が悪ければナースコールをできる患者群である。

  そして、本件病棟は、オープンフロアで目も届きやすい。心電図テレメータも、

  常時監視のためにつけているわけではなく、ホルター的に使用していたのであ

  り、また、無線の心電図テレメータは体動等によるノイズを拾ったりしてアラームの誤作動も多いことから、入院患者の入院生活への影響も考えてアラームの音量はほとんど意識しなくて良いように最低レベルに押さえていた。アラームないし異常波形を確認したらできるだけ対応する方がよいであろうが、ICUCCU(これらの場所では患者に対して看護職員が常に21で配置されることが要求される)以外の一般病棟における看護職員の人員配置では、セントラルモニターの常時監視と即時対応は不可能である。しかも、病棟内フリー(あるいは院内フリー)という行動制限を設定しない患者に心電図テレメータを装着している場合は、他の階に行ったり、トイレに行くなどの細かい行動確認は不可能である。本件病棟の看護職員に義務違反はなかった(甲B89頁、1415頁、17頁等参照)。

 

 とくに被告病院が府中市に移転して以降,経験豊富な看護師の退職が相次いだ。本件事故当時も,看護師を100名募集しており,経験の乏しい看護師が多数在籍していたことが推測される(甲3・被告病院ウェブサイト)。事故当日の担当看護師3名のうち被告角口は勤続14年であるが,被告刈谷は勤続5ヶ月,被告水木は勤続3ヶ月であった。

  4段落については、経験豊富な看護師の退職が相次いだとの主張は争う

が、その余は特に争わない。被告病院は、府中移転によって、病床数も増え、

多数の看護師を募集したことは事実であるが(ただし、必ずしも経験の乏しいものばかりを採用したわけではない)、経験豊富な看護師の退職が相次いだということはない

 

4 被告病院の事故後の対応

(1) 事故当日の対応

 智亮の死亡当日、原告らは、なぜ心電図アラームが鳴動していたのに、ナースコーナーの目の前のトイレで智亮が心肺停止状態で発見されるまで放置されていたのか等、事故の経緯について説明を求めた。当日の病院の最高責任者として対応していた村上副院長は、「調査中」という一方、しきりにナチュラルライフ(「寿命である」という趣旨)という弁解を繰り返した。

 死亡診断書の作成に際し、A医師から智晃の解剖の承諾を求められたが、原告らは、智亮の死亡で精神的ショックを受け、とてもその気持ちにはなれず、断った。しかし、医療事故の疑いは濃く、原告浩之はA医師と村上副院長に対し、自然死ではなく事故死と書くべきではないかと尋ねた。これに対し、村上副院長は、「そうは書けない」「東京都の統計が狂うから」等と言い、「譲歩できるのは、(死亡診断書の)下の備考欄に書くだけである」と言って、拒否した。智亮の死亡が看護師らの業務上過失行為による可能性が否定できないのに、村上副院長は、原告らに解剖に応じてもらたいという真摯な説得や要請をせず、逆に原告らが解剖を嫌がっていることを知りながら、事故死と記載するには解剖をしなければならないと告げたのである。原告らがこれを断ると、村上副院長は「じゃ事故死でなく自然死です」と断定した。医師として事故の原因を真摯に究明しようという態度は見られなかった。

 結局、死亡診断書の「死亡原因」の「直接死因」欄には、「肺梗塞あるいは迷走神経医反射の徐脈による急死」と、「その他とくに付記すべきことがら」欄には、「トイレで徐脈になっていたが約50分気付かれなかった。徐脈後直ちに心肺蘇生などの処置を施せば、死に到らなかった可能性がある。」と、それぞれ記載されていた。

   智亮死亡後、原告らとの間で主張のすれ違いがあり、死亡診断書の記載や解

剖等に関して、約2時間の押し問答があり、その中で原告主張のようなやりとりもあったことは認める。

なお、死亡診断書の記載や解剖等に関する話は、午後1038分の死亡確

認よりも前の段階からなされていた。

 

すなわち、原告らは、智亮の急変の知らせを受けて来院した後、死亡確認の前から、トイレで放置して殺されたも同然だといって医療スタッフを詰問し、勝手にカルテのコピーを開始したり、同室患者へインタビューを行ったりして、裁判の可能性も口にしていたので、主治医のA医師は、そういうことであれば死亡確認後は解剖をしておいた方がよいのではないかといった話を、当時比較的冷静と思われた原告らの長男にしている(長男は、両親に相談するが、母親は納得しないだろうと言っていた)。そして、死亡確認後、A医師としては、死亡原因は、トイレで1時間発見されなかったことではなく、右房に血栓があったことから肺塞栓が考えられ、また、                                              

トイレで排便中であったことから迷走神経反射による徐脈も考えられ、フォンタ

ン術後の患者であったため救命はできなかったであろうと考え、そのような説明

をして病死であることを前提とする死亡診断書を渡そうとしたところ、原告らは

納得せず、当時病院に残っていたスタッフの中で最高責任者であった村上医師( 当時副院長)との間で訴状記載のような押し問答となった。         

   

(2) 事故翌日の金銭の提示

 その後の、被告らの対応は、お金で原告らの口を封じ事故隠しをしようとする態度がありありと見えた。

 まず、智晃死亡の翌3月24日、被告の細田病院長、村上副院長及びX副院長が原告ら宅を訪れ、細田病院長が原告らに対し、管理上の一切の責任は自分にあると述べ謝罪の意を表し、3月31日には、細田病院長らが原告ら遺族に、損害賠償金として「病院長の決裁権限の最高額である」という6000万円を支払うこと、及び院長への懲罰として支給を停止することになった3ヶ月間の給与を原告らに支払うことなどの提案がなされた。当日、細田院長は「事務的な手続きがあるので」といって事務長を同行させており、その手回しのよさに、原告らは驚くとともに、怒りがこみ上げた。さらに、4月26日には、X副院長が原告らの長男に「病院には今期1億円の余剰金があるので、保険(医療過誤保険)を使わないで支払いが可能である」と、遺族の気持ちを逆撫でするような話をしたのである。

 事故の真摯な原因調査と謝罪があって、はじめて損害賠償の話が始まるというのが社会的な常識というものであろう。事故当日の心電図の記録もわずか16分しか遺族に渡されていないことについても、被告らの説明は二転三転していた。事故原因について遺族に対し納得のいく調査や説明をしないで、お金で決着をつけようという被告らの対応は事故隠しをねらうものであることは、あきらかであった。

 原告らは、事故の真相と原因を究明することが先決であり、その上で損害賠償など責任ある対応を取るように求めた。

 智亮死亡の翌日に、当時の細田院長ら病院関係者が原告宅に弔問に訪れ

たところ、前日に引き続いて、原告らから、トイレで1時間にわたり発見されなかつたことを長時間にわたって強く責められ、

病院としての責任の取り方を具体的に提示するよう強く求められ、それを受けて、331日に再度原告ら(原告らの長男の事務所)を訪問し、原告主張の金銭支払い提示

をしたことは認めるが

(その他にも、毎月第4火曜日を本件事故を反省して医療安全について職員全

員が考える日とし、今後の同様なことが再発しないようにすること、毎月23日前後で原告らの都合にあわせて原告方あるいは墓前に弔問すること、その際、医

療安全への取り組みについて報告すること、智亮が卒業式に主席する予定で

あった大学にご遺族とともに出掛けて経緯を説明し謝意を表すること、

なども申し出て、現に実行している

)、本件死亡の経緯については、分かることはその都度きちんと説明している

。さらに、トイレ内での突然死で発見までに約1時間を要した本件は、厚生労働省が事故報告を求める事例のうち「警鐘的意義が大きいと医療機関が考える事例」の範疇に含まれると判断し、329日には、東京都および保健所に報告もしている。事故隠しなどという非難はあたらない。

 なお、被告が提示した6000万円という数字は、智亮がもし不法行為で亡くな

ったとした場合の損害賠償額の相場を顧問弁護士に尋ねたところ、過失がある

という前提で、因果関係、原疾患による余命の長さ、などをあまり問題としない

なら、提示額としては6000万円程度が妥当ではなかろうか、との回答であった

ため

この際、原告らの怒りを鎮めることができ、また病院で大声を出したりする

などのことがなくなればとの思いから、過失、因果関係、原疾患による余命の長

さ等を特に問題とせず提示したものであるが、その後、原告らが刑事告訴に及

んだこともあり(被告訴人は、本件の被告看護師3名)、この提示は取り下げた。

 

(3) あまりにも緩慢な事故調査と遺族への不十分な説明

 原告らは,被告らに対し再三,事故原因の解明を求めたが、5月17日になってX副院長からメールで、被告に設置された事故調査委員会が6月末日までに調査を終えると連絡があった。5月26日には、被告病院より、被告代理人としてZ弁護士に委任したので、以後同弁護士を通じて交渉を行うと連絡があった。ところが、その後,同弁護士からは、何の連絡もなかった。

ア 第1段落に記載されている事実があったことは認める。しかし、それ以外

    にも様々なやりとりがあり、全体として、遺族への対応が不誠実という評価

  はあたらない。

 なお、原告らが、被告は526日にZ弁護士を通じて交渉を行うと連絡してきたのに、その後、同弁護士から何の連絡もなかったと主張している点について、一言述べておく。

  323日の死亡以後、被告病院としては、トイレ内で1時間にわたって

 発見できなかったことについて、遺憾の意を表明し、原告らの怒りが少し

 でも収まってきちんと話ができればと思って謝罪も繰り返し判明したことく伝えてきた。しかし、原告らからは、6 000万円などという金額では到底償えないとして2億5000万円というがあり、さらには、病院を潰すことなどそんなに難しくない、といった脅迫じみた言動が繰り返された

 

そして、525日には、原告らから告訴があっ たということで警察が来院し、この日から捜査が開始された(現在、警察段

 階の捜査はほぼ終了した模様である。被告らとしては、近く、不起訴処分

 になるものと信じている。)

 

。そのため、被告病院は、526日に、乙A2

 号証の手紙を原告に送付した(乙A2は、実際に原告に送付した手紙のハ

 ードコピーではなく、被告で保存していた電子データを改めてプリントアウ

  トしたものである)。被告病院としては、今後の何か連絡があれば木崎弁護

 士を通して欲しいとお願いしただけであり、Z弁護士を通して被告病院

 側から何らかの連絡をすると具体的に約束したわけではない

 

Z弁護士からの連絡が何もないと非難されても、戸惑うばかりである。

 6月22日、原告らの申し立てにより、東京地方裁判所による証拠保全の手続きが実施された。ところが,調査報告書を出すといった6月末を過ぎても、被告病院からも代理人からも何の連絡もなかった。また、被告病院は、事故を公表することもしなかった。

2段落の第1文と第2文は認めるが、第3文、第4文は否認する。

  原告らは、警察へ直ちに届けるよう要請していたというが、そのような要

  請はなかった。むしろ、死亡当日には、原告らが、トイレ内で1時間放置さ

  れたことが直接死因であると死亡診断書に記載するよう執拗に求めたのに

  対し、村上医師が、直接死因が放置されたことだとすると、病死、自然死で

  はないので、医師としては警察に届けて司法解剖をしてもらう必要がある

  旨説明したところ

、原告らは、警察に届けて司法解剖をするという選択をしなかったのである(乙Al36頁)。

このやりとりの最中、原告らからは、

「本当に警察に届けてもいいんですか」といった脅しめいた言葉もあったが

、村上医師は、「構いませんよ」と対応している。そして、被告病院では、家族が希望すれば警察に届ける旨の報告を東京都に対してもしているのである(乙Al10貢)。

 また、平成16723日に原告らが本件事故をマスコミに明らかにした

ことによって被告らは事故の発生を初めて認めたと言うが(なお、原告らが

マスコミを前に記者会見を行ったのは723日ではなく722日ではなか

ろうか

)、これも誤りである。

智亮死亡後、どういうルートで情報を得たのかは分からないが、同年4月の初めに読売新聞から取材の申込みがあった。

被告病院は、原告らに、これに応じてよいか、公表するかどうか問い合わ

せたが、今はその考えはない、とのことであったので、読売新聞の取材は

断った。また、同年5月半ばには、朝日新聞から取材申込みがあったため、

これに応じることの了解を原告らに求めたところ、原告らは、「朝日新聞か

らの取材に関して了解しかねます。調査委員会の結果も出ていない状況

では事故調査が不十分であると同時に私どものプライバシーの問題も含

めて部外者が知るべき内容ではありません。少なくとも私ども遺族の了解

なしには取材に応ずることはお止めください。」(乙A3号証)といってこ

れに反対したため、取材を断った。このような経緯のあと、突然722日に

原告らが厚労省で記者会見を行ったのである。 なお、調査報告書が当初予定の6月末までに完成しなかったのは、事故調査委員会の外部委員として原告らから推薦された大学の教授(たまたま智亮の指導教官が安全管理の専門であったため、外部委員として加わっていただいた)が、原告らの刑事告訴を契機に外部委員を辞退し、さらに、警察からは、別の専門家第三者に外部委員として入ってもらって事故調査をすべきであるとの指導を受けたため、新たな外部委員を依頼し、その方々の日程も調整しながら委員会を行わなければならなかった

ためである。

 

 被告らは、原告らが警察へ直ちに届け出るよう要請していたにもかかわらずこれを怠り、事故の公表もしなかった。7月23日に原告らが本件事故をマスコミに明らかにしてはじめて、被告らは事故の発生を認めたのである。

 やむなく、8月13日、原告ら代理人は,上記弁護士に対し、調査委員会の報告を催促するとともに、本件事故に関し以下の内容を明らかするよう求めて文書を送付した。さらに,同文書とは別に,調査の進捗を促す趣旨も含めて、原告らの疑問などをまとめた「質問事項」も別途,同弁護士宛に送付した。

@ 本件事故により、智亮が死亡するに至った経過についての説明。

A 本件事故の原因と責任について、被告が調査した結果及びそれに基づく被告の見解を明らかにすること。

 とくに、心電図モニターの鳴動に看護師等が対応しなかった原因の解明及び病院内の心電図モニターなど、人命にかかわる機器の管理、使用についての実効ある改善措置を示すこと。

B @Aを踏まえて、誠意ある謝罪をすること。

C 本件事故と同様の事故の再発防止のための具体策(対メーカーも含む)とその実施方法を明らかにすること。

D        智亮の死亡について、原告ら家族の精神的な損害を含めて損害を賠償すること。

ウ 第3段落は認める。

(4) 事故調査報告書の内容(甲12)

 これに対し、被告病院から事故調査委員会の報告書が届けられたのは、ようやく10月に入ってからである。事故からすでに半年以上が経過していた。

 その事故調査委員会自体、警察から示唆されてから外部から選ばれたという2名を除いては全員が被告病院の関係者であって、公正性の担保は乏しい。

 報告内容も、原告らが一番解明を求めた心電図アラームに対する不作為については、総括で、「まことに痛ましく、申し訳ない事故であるが」としながら、「トイレという密室の中での突然死であり、セントラルモニターを十分監視して即座に対応していたとしても救命の可能性は極めて低かった」とし、被告病院の「移転に伴う体勢整備が追いついていない状況があった可能性がある。患者を絶対断わらないという病院の理念の中で、管理者は現場の状況をどれだけ把握していただろうか。これらは、患者発見の遅れの一因になってはいなかっただろうか。」「血栓が発見された時点で情報を共有ができていればどうであったろうか。血栓の情報の共有があれば看護師は当該患者が所在不明となった時点で探した可能性はある。当該患者が本人のベッドと目と鼻の先のトイレで1時間も発見されなかったということはなかったのではないか」と、疑問を投げかけたままである。また、「今回の事故を教訓とする今後の対策」にも、心電図モニターのアラームへの対応については、一言も触れていない。

 事故調査報告書の完成時期、内容は甲B8記載のとおりである。

公正性の担保が乏しいとの点は争う。

 (5) 遺族への直接の説明を拒否

 原告らは,原告ら代理人を通じ,被告病院に対し,原告らが同席して直接報告の説明を受けたいと再三申し入れていた。ところが,被告病院は原告代理人にしか説明をしないといって、あくまでも原告らの出席を拒否し続けている。

 調査報告書が出されたものの、それに基づき、原告らが求めていた再発防止策や謝罪・損害賠償の具体的な提案はなかった。さらに、被告代理人からは、損害賠償の請求にも応じられないという意向が示されたのである。

認める。

 

  原告らに対しては、智亮死亡後、病院関係者が何度も直接対応してきた。し

かし、常に平行線で、刑事告訴にまで至った。そして、原告らのホームページ

では、病院関係者とのEメールのやりとりなども公開され、病院への非難が繰り

返されていた。そのような状況下で直接面談しても有意義な結果は認められな

 いと考えられたので

、とりあえずは代理人限りでの面談としてもらったものである。

 何ら対応に不誠実な点はない。

 

(6) 被告病院らの不誠実な対応

 以上の経過から、被告らは事故直後に金銭の支払いを提案したものの,その本意は原告らの口を封じて事故を隠そうとしたものであると受け止めざるを得ない。原告らは,事故原因の究明が先決であるといって病院の責任を明らかにするように求め続けてきたが,被告らは極めて緩慢な対応をとり,積極的な対応は何一つとろうとしなかった。他方で,ひとたび本件事故が公表されるや否や,被告らは態度を翻し,遺族への直接の説明すら拒否するような態度をとったのである。まさにお金で口を封じようとしたといっても過言ではないのである。

 原告ら夫婦にとって、智亮は心臓疾患の手術を受けていたからなおさらのこと、大事に育ててきた。智亮の突然の死亡は、原告ら夫婦及び智晃の兄弟にとって余りにも精神的な衝撃が大きかった。その上、被告らの不誠実極まる対応にさらされ、原告らはさらに精神的な苦痛を受けている。

 本件事故により、原告ら家族は、智晃を失っただけでなく、人生設計を狂わされたのである。 被告らの責任は重大である。

争う。

 

5 責任原因

(1) 看護師らの過失

 心電図モニターは,患者の心電図を24時間連続モニタリングすることにより,心拍数,不整脈,その他の異常を早期に発見できる。瞬時に異常を発見し,的確な対応を行なうことが循環器看護師の重要な役割である。不整脈が発見された場合には,直ちにモニタ記録を印字し,患者の状態(意識レベル,脈の触知)を観察し,適切な処置をしなければならない。

 しかるに,被告角口,同刈谷,同水木は,智亮に不整脈が生じたことを知らせるアラームが鳴った後,直ちに心肺蘇生などの処置を施せば救命しえたにも関わらず,これを怠った点に過失がある。

 よって、被告角口,同刈谷,同水木らは,原告らに対し、診療契約の不履行若しくは不法行為(民法709条)による損害賠償をなす責任がある。

争う。

(2) 村上医師の責任

 前述のとおり,被告病院は,前述のとおり原告らに対してきわめて不誠実な対応を行なったものであるが,その中でも被告村上は,事故直後,実質的に病院の最高責任者としての立場で原告らとの対応にあたったが,事故を自然死と決めつけ,警察への報告,解剖,心電図の保全を怠った。

 これにより,原告らは,事故原因の究明に多大の負担を強いられ,不誠実な対応による精神的苦痛を被った。よって,民法709条の不法行為が成立する。

(3) 病院の独自の責任及び使用者としての責任

 被告病院は,看護師,医師に対して適切な教育を施すとともに,病院施設の管理,診療・看護体制を整える義務がある。しかるに,アラームに注意せず,あるいは確認をせず本件事故を発生させた看護師本人に独自の責任があることもさることながら,必要な教育や体制づくりを行わず,このような感覚の麻痺を漫然と放置してきた被告病院にも独自の責任がある(診療契約の不履行及び民法709条の不法行為)。

 また,被告病院は,前述のとおり原告らに対してきわめて不誠実な対応を行なったものであり,民法709条の不法行為が成立する。

 さらに,被告病院は,上記看護師ら及び被告村上の使用者でもあるから,それぞれにつき民法715条に基づく使用者としての責任も負う。

(3) 小括

 いずれも原告に生じた後記損害を連帯して賠償すべき責任を負う。

争う。

以上

証拠方法

追って提出する。