意見書

                                                                               平成16910

 榊原記念病院における間下智亮氏の急死事件について、事故発生に至る経過を聴取し、

下記の通り意見を述べる。

 出生直後より長年治療を続けてきた患者がこのような不幸な転帰となったことは、患者

およびその家族のみならず、これまで治療を担当してきた医療者にも不幸な経緯であると

思う。故人の冥福を祈るとともに、遺族に謹んで哀悼の意を表したい。

 

1)心電図モニターについて

 今回の急死に至った経緯で問題となっていることの一つに、心電図モニターをつけてい

たにもかかわらず救命処置が遅れたという点がある。

 残された心電図記録からは、心房細動によると思われる頻拍があり、それが徐々に徐脈

となり心停止に至ったと考えられる。一部に心電図ST部分の上昇があるようにも見える

が、モニター誘導でもあり、心筋虚血の表現と断定することは難しい。経過を通して心室

細動や心室頻拍などの致命的不整脈は認められないので、今回の出来事は不整脈による死

亡ではない。最初のモニター心電図記録では心拍数150前後の頻拍であるので、入院時

や心不全改善時のデータは見ていないが、この頻拍が原因で助けを求める声も出せず、緊

急用のナースコールを押せないほどのショックに陥るとは思えない。別の原因により急変

しショック状態になったと思われる。

 心室細動や心室頻拍などの致命的不整脈では、直ちに除細動などの心肺蘇生処置が行え

れば心拍再開はかなりの確率で可能である。但し、中枢神経障害などの合併症を食い止め

られるかは基礎疾患と心肺蘇生までの時間に依存する。本事例では、原因は明らかではな

いが、突然に意識を消失するほどの重篤な循環虚脱が発生したと思われ、先天性心疾患、

フォンタン手術後である点を考慮すれば、心肺蘇生自体も困難で、循環動態を持ち直して

も中枢神経障害等の合併症は避けられなかったと思われる。

 残されたモニター心電図において、入院時あるいは落着いた状態と異なるかと思われる

状況は、頻拍を認めた点である(心房細動は入院時から存在した)。これは、CCUのよう

な厳重な監視下でも、場合によっては状況を確認しようとするレベルの異常であっても、

心肺蘇生に飛びだしてゆく種類の不整脈とは判断されないし、心電図から重篤な循環不全

を診断することはできない。高度の心不全や急性心筋梗塞などのように、厳重な監視を要

する病態のためにCCU等で集中治療を受けている場合は、モニター心電図は病態観察の

一手段としての役割を果たしている。しかし病態が落ち着いた状態での病棟でのモニター

心電図に期待されている役割は、CCUでの役割とは自ずと異なるし、また看護師などの

監視体制も異なる。病棟でのモニター心電図には、重篤な不整脈の有無をチェックする、

ホルター心電図のように後ろ向きに心電図変化を解析する、心拍数の変動を解析する、な

ど主として病棟での身体活動における心電図変化の解析に役立つことが期待されている。

重症不整脈に対する心肺蘇生活動を担保することを第一目標とは考えられていない。また

本事例は心房細動の頻拍で、心肺蘇生活動が直ちに必要と考えられる不整脈ではなかった。

心電図は中央監視装置の形で組み込まれていたようであるが、病棟におけるモニター心電

図の役割は同じである。また心電図モニターにはノイズや僅かな電極の不都合、体動など

でアラームが鳴ることは珍しくなく、現在の性能では避けられない。重篤な病態を監視す

る集中治療室では、その都度対応してアラームの原因を確認することが可能であるが、一

般病棟では困難であろう。本事例では徐々に頻脈から徐脈となっており、10分程度経過

した後のモニター心電図上の徐脈を見れば、何らか異常事態が発生した可能性が高いと予

想することは出来たと思われる。しかしこの時点での心肺蘇生では救命は困難であったろ

うし、循環動態を回復し得たとしても脳死状態は免れなかったと思われる。

2)急死について

 重症の先天性心疾患患者の急死が予測できたかという問題がある。

 出生時より全身チアノーゼがあり、三尖弁閉鎖症、肺動脈狭窄症、卵円孔狭小の診断に

て出生後早期にBASを受け、3歳時にプレロックータウシッヒ短絡手術を受け、6歳時

にフォンタン手術を受けた患者が心不全の増悪で原因精査、加療を目的に入院した。心房

細動の出現が心不全の増悪要因と考えられたが、利尿薬の投与により心不全、浮腫が改善

し、翌日には大学卒業式に出席予定であった。この間の検査で右房内に血栓の存在が確認

された。

 三尖弁閉鎖症の20歳までの生存率は約60%とする報告もあり、急死、心不全など死

因の詳細については明らかでないが、本事例も急死の可能性が高い患者であったと考える。

不整脈、急性心不全、本事例では右房内血栓による肺塞栓症の可能性も含めて、これらに

よる急死が予測可能であったろうか。先天性心疾患の術後に限らず、循環器疾患における

急死の予測は極めて困難である。高度の慢性心不全が持続している場合、あるいは狭心症

などの心筋虚血発作が頻発している場合など、極めて限られた病態下でのみ急死の発生を

ある程度予想できるだけで、通常の循環器疾患では難しい。本事例では、心不全が外出を

許可しようとする程度まで改善しており、基礎疾患から考えて急死の可能性はあるものの

予測できる状況ではなかったと考える。急死の可能性を考慮してCCUへ収容したり、厳

重な監視下に置くべき状況にはなかったと言える。

 しかし明らかに過失がなくても、予期しない形で患者が死亡した場合には家族の怒り、

悲しみは強い。過失の有無にかかわらず、医療関連死等に対して何らかの補償、救済する

制度がわが国に整備されることが望まれる。

 

以上。

虎の門病院 院長

                                                                                                山口 徹

意 見 書

 

 榊原記念病院における間下智亮氏(23歳男性)の急死について、平成1537日施

行の心臓カテーテル検査時の右房造影写真、心内圧測定結果、平成16322日のMRI

検査、平成16323日午前940分から同956分にかけての心電図モニター記録

及び平成16107日作成の榊原記念病院医療事故調査委員会の事故調査報告書並びに

問題点を聴取し下記の通り意見を述べる。

 

 

T、死亡及び死因の予測は可能であったか。

 当該患者は三尖弁閉塞兼肺動脈狭窄の先天性心奇型を伴い出生している。自然歴は

生後約6ケ月までに約半数が死亡し、1歳までに三分の二、10歳までに90%が死亡

する(心臓病、イラストレイテッド、JWiuisHurst,監訳河合忠一京都大学教授、

南江堂、1991年)。先天性心奇型に占める割合は約1%とされる。生後12日日に卵円

孔狭小の為にバルーンカテーテルによる心房中隔裂開術を施行、さらに、310ケ月

日には左側プレロックータウシング短絡手術(肺動脈大動脈短絡手術)を施行、さら

に、6歳時にはフォンタン手術(右房主肺動脈人工血管吻合術)が施行されている。

このフォンタン手術後17年目に事故が発生した。即ち、平成1631517日の

旅行が誘因となり心不全を併発した。顔面浮腫、肝脾腫触知、下腿浮腫など体重も5

kg以上増加、心房細動、心拡大などを認める典型的な心不全症状を呈し、平成16

319日入院した。幸いに、安静、利尿薬(ラシックス)、酸素吸入、食事療法など

により、浮腫を始めとする心不全症状が軽減し、322日には院内自由行動可までに

改善した。

 先天性心奇型の終末期症状は心不全であるが、この心不全症状が消失し、翌日3

24日の大学の卒業式に出席したい意向であったことから院内フリーが可能になった

矢先の突然死であり、この突然死を予測することは困難と思われる。確かに、このよ

うな先天性心奇型の死因は心不全、不整脈、肺血栓塞栓症、感染、突然死、再手術な

どであるが、特に、不整脈、突然死、肺血栓塞栓症がいつ起こるかを予測することは

不可能に近い。心不全、感染症の悪化の場合はある程度死亡時期を予測できると思わ

れる。

 本件の場合、右房に巨大血栓の存在などと6歳時に行ったフォンタン手術の右房

と肺動脈との人工血管の流れが緩慢であったという平成1537日の心臓カテー

テルの成績と事故前日の平成16322日のMRI検査による右房内壁在血栓(付

着部56cm、高さ3cm)を考慮すると直接死因としては以下の二つが考えられる。

 

直接死因

 

1)循環虚脱:排便時のりきみにより(コロコロした硬い血液の付着した便2個が残って

いた)、元々高い右房圧(平成1537日測定で18mmHg、健常者は2mmHg前後)

 が更に上昇した為に右心房への静脈の還流が低下、このため肺循環、左心房、左心室

への血流減少による循環虚脱が起こり、初めは頻脈(心電図モニターの940分、9

41分)、続いて徐脈(946分から)、が進行し、954分には心室細動となり心

停止状態となるが955分、56分には心室補充収縮が1分間に12回の死戦期のJL

 電図を呈し死亡したものと思われる。

2)肺血栓塞栓症:事故前日の322日のMRI検査にて右心房内に底部(血栓付着部)

 56cmの血栓が確認されているが古い血栓は剥がれないが、表面の新鮮な血栓は排

 便時の「りきみ」により、右房圧の上昇が誘因となり剥離し、右房・肺動間の人工

 血管吻合部(平成1537日の血流緩慢の部位)に塞栓となり閉塞した。これが

 肺循環の虚脱、大動脈の虚脱となり1)と同様の理由により死に到たらしめた。以

 上のごとく1)或は2)が考えられるが剖検所見がないことは残念である。

 

 

U、救命の可能性について

 

 排便時の「りきみ」により循環虚脱が直接起こったか、肺血栓塞栓症により二次

的に循環虚脱が起こり、急死したと考えられるが、事故当日の午前940分の心電

図モニターによる頻拍性心房細動に始まり、956分までの一連の心電図記録をア

ラームで知りえた場合に救命できたかが問題である。

循環動態に障害のない不整脈が原因で突然の心室細動ならば940分から956

分の間に気がついていれば救命の可能性はある。しかし、本例のような先天性心奇

型の末期症状としての心不全、或はその回復期中に突然の循環虚脱が起こり、トイ

レ内の目の前のブザーの、ボタンを押せないほどの短時間に心停止に到った場合の

救命は難しいと思われる。何故なら、この心電図変化がペット上で起きたとしても

循環虚脱の診断、CCU(心臓集中治療室)でない部屋だと患者をCCUに移動させるの

に一定の時間を要すること、補助装置を装着するまでの準備時間などを考慮すると

どんなに急いでも3040分は必要であろう。予備能力のない当該患者を救命はでき

たとしても植物人間になる可能性が高いと思われる。心停止後1分毎に10%ずつ救

命率は低下する。従って、救命に10分を要すると0%となる。これは急性心筋梗塞

や一次性心停止(循環動態に異常がなく不整脈が原因)の場合のデーターであり、

陳旧性心筋梗塞による心不全、心奇型を有する場合などの救命率はもっと悪くなる。

本例では、結果的にはトイレ内であることが分かったが、院内フリーの患者の場合、

その場所を特定する時間も必要となる。従って、救命率は限りなく0%に近づくこと

になる。

 

V、心電図モニターについて

 

 患者に装着する心電図モニターはCCUICUで装着し1個の心室性期外収縮も見

逃さないほどの監視体制(医師或は訓練した技師、看護師が24時間張り付いて監視)

から、連発する期外収縮や頻脈、徐脈などで警報が鳴った時に対応する場合と、本件

のように病棟内あるいは院内フリーであるが何か不整脈が出た場合に参考にする程度

のモニターとがある。病棟内あるいは院内フリー患者の場合にもナースステーション

のモニターを誰かが診ているか、或はアラームに気付づいていれば発見の手掛りにな

つたと思われる。しかし、一般病棟ではCCUICUのような監視体制は日本のどの

病棟も採用していないのが実情である。たまたま居合わせた人が発見できれば幸運と

いうことになる。本例のように急死することを想定していない場合(想定できればCCU

管理する)、後でどのようなことが起こったかを参考にする程度である。確かに本例で

も誠に残念ながら頻拍性心房細動が徐拍化し、心停止する課程が記録されている。本

心電図モニターのように無線式の装置は基線の動揺が激しかったり、ノイズが入った

りすることがしばしばあり誤報が多いことも欠点であり、特に昼間では警報装置とし

ての意義は少ないものと思われる。

 従って、本患者にモニターを装置してあり、その警報を見逃したからと言って、今

日の日本の医療体制下では責められないと考える。ましてや病棟内フリーの患者であ

り逐一追及することはプライバシーを犯すことになる恐れがある。

 以上、本件の場合、重症の先天性心奇型があり数回に及ぶ手術を施行し成人にまで

達したが、終末期像としての心不全を併発した。しかし、治療により心不全症状は快

方に向っていたが、先天性心疾患の死因の一つである突然死に陥いった、ことは残念

でありご冥福をお祈り致します。

                       平成17214

 

日本大学医学部客員教授

前日本大学医学部第2内科主任教授

68回(平成16年)循環器学会会長

上松瀬勝